絶望した人へ。ハードル低めでイージーな絶望に効く薬を処方します。
「あなたはなんのために働きますか?」
お金を得るために働く。基本的にはあなたもそうでしょう。私やあなたはお金を得るため、生活を送る上で必要な経費を稼ぐために働いている。
だから収入の多寡で人は他人を蔑んだり、羨んだりする。それは仕方ないことだし無理もない。
この間、女性用風俗で働く人とご縁があり会話した際に「お金のためでもあるんですが、自分を、自分自身を商品として売れるのが楽しいんです。」と言っていました。
確かにな。と思った反面これは私やあなたも普段からしていることではないか?と思いました。
サラリーマンは会社の用意したお金でプロモーションして、会社の用意したお金で作成して、会社の用意したお金で販売する。だから会社から給料を得ている。
紛れもない事実のように感じるけど、果たしてそれは真実として信じて良いのだろうか?
お金はなぜ支払われる?
私やあなたはお金を得るために会社の物を売っている。だからお金が入る。だけどこれってできているのでしょうか?
会社に貢献した社員を表彰したり、給与を増額したり、役職をつけたり。これはどこの会社でもされていることでしょう。これは暗に利益を出したものにはそれなりの評価を与えているよ。という会社のポーズです。
ならば直接的に利益を上げていない社員はお荷物なのか?つまりは指示を出したり、社員の給与を勘定したり、設備を保全したりする人はお荷物なのでしょうか?
つまり間接労務費は利益を上げていないので、評価されない物なのか?という問いです。
これは部下を持つものが、明らかに直接労務費でないのに、人より多く給与を貰っているのを感じるのでありえないことだというのはあなたも感じるところでしょう。
建築の見積もりをしたことがある人なら、15%くらい事務所の人間の作業費を見積もりに入れているのでわかりやすいのではないでしょうか?
つまりはマネージャーと呼ばれる人や経理の人のの作業費も見積もりには入っているわけです。つまりこれは直接利益を出さなくても必要なのだとみんな理解しているということです。
金銭を払うというのは合意のもと行われるのですから当然ですが。
じゃあ私やあなたは何をしてお金を得ているのでしょうか?つまりお金を直接稼いでいないのになぜお金をもらえるのでしょうか?
商品はなんなのか?
それは私やあなた自身が商品だからです。つまりは会社から見たらサラリーマンである、私やあなたは商品なのです。
つまり給与の多寡というのは会社から見て高いか、それとも安いか?という視点なのです。
よくある話で「あいつは社長にゴマを擦っているから給料を多くもらえてる。そんなのほんとうに必要な社員からすればクソだよな」というのはあなたも先輩や後輩から聞いたことがあるでしょう。
このような呪詛を。
例えば営業マンというのはお客様から気に入られれば他社からの信頼を得ます。これは別に商品価値を拠り所にしているわけではありません。
良いものだから誰が売っても売れるのなら営業マンなんて必要ないでしょう。
スーパー営業マン自体が参入障壁になるというのはよくある話です。
Facebookのマイク・ザッカーバーグは広告費は「つまらないサービスやプロダクトをつくってしまったことに対する罰金」だと言っています。
じゃあ罰金で儲けているFacebookはなんなのだろう?と感じますが置いておきましょう。
しかしながらザッカーバーグの前提に立つと、消費者というのはすべての商品価値を知っている人であるというとても理知的では無い経済学的なものの見方に陥ることになります。
しかし実際問題消費者は「予想通りに不合理」です。あなたも消費者ですからこの辺りは腹落ちするでしょう。
当然のことながら良いものでも「ここで売っています!」と言わなければ誰も購入できません。知らないものは誰も買わないのです。
つまりゴマを擦っている、というのは購入してもらうための宣伝です。知らないものは評価できないのですから。
「それを見るのが社長の手腕じゃない?」なんていうお坊ちゃんお嬢ちゃんはドブ攫いから始めた方が良い。最近ドブをめっきり見かけないのですけど。
ゴマをするってダメなん?
つまりはゴマをするというのは、私やあなたという商品を買ってもらうための営業だということです。
私の父はこの手合い、つまりゴマをするような人間を嫌悪していました。なので必然的に私もその思考が植え付けられるわけです。子育って洗脳ですから。
だから昔は「なにも言わずともほんとうに必要な人であればいずれ誰かが見つけてくれる。それが正しい。」と思っていたわけです。
しかしながらそれは、その思考はドブに捨てました。攫っても出てきません。なぜドブに捨てたか?それはサラリーマンは本来自分自身が商品だからです。
私は今までの転職面接で「あなたは優秀だね。営業としてでもやっていけるよ!」というありがたいお言葉を頂戴することができています。
それはなぜか?徹底的に面接を受ける会社をリサーチして、おそらくこのように会社をしていきたいのだろうという仮説を立てて、自分はやりたいことの手伝いができる人である証明をしているからです。
これはゴマすりと同じです。「えっ!そんなことまで知ってるの?誰から聞いたの?」ってところまで調べます。それは他人に自分を知ってもらうためには他人を知らなければならないからです。
それは上司に対しても同じです。自分を知ってもらうには他人を知らなければなりません。だから懐に入るのです。
死に至る病
ゴマをする人間を嫌悪する人間はその呪詛により死に至る病を発症します。
それは山月記で李徴を虎に変えた病です。
誰しもが飼っている心の中の虎。それが「ゴマをする人間は卑しい」という死に至る病を発症させる呪詛を唱えさせます。
さきほどFacebookのマイク・ザッカーバーグは広告費は「つまらないサービスやプロダクトをつくってしまったことに対する罰金」だと言っています。と紹介しました。
基本的に人というのは対して変わり映えしないものです。隣りの先輩や上司、そして私とあなたも。
つまり人間というのは基本的につまらないサービスやプロダクトです。なのにも関わらず、李徴の言葉を借りれば臆病な自尊心と、尊大な羞恥心を心の中の虎として肥大化させています。
それははっきりと言って死に至る病です。
絶望とは何か?
死に至る病の著者であるキルケゴールは、絶望とは自分が自分である責任を放棄してしまうこと。 自分自身を選べるチャンスを捨て、望む自分であろうとしないことであると述べています。
あなたも絶望することはあるでしょう。それは他者から理解されないことから起因することが多いです。
なぜ理解してもらえないのか?それはあなたが説明責任を果たしていないからです。
理解してもらうには相手を理解しなくてはいけません。大工には大工の言葉でとは有名な言葉ですが、理解してもらうには相手を理解するのが近道です。
それは時として「ゴマスリ野郎」になりえます。他人は他人を良い方向に理解しようとは思いません。
なんなら自分に都合よく「あいつは俺より下だ。だから社長や部長にゴマを擦っているんだ。」くらいに思っています。
それは婚活における「いつか白馬の王子様が迎えにきてくれるのよ!」と思っている女性と変わらないのです。だいたいの人がこれで死に至る病を発症させるのですが。
今の世の中李徴はたくさんいます。心の中の肥大化した虎がのちに死に至る病を運んでくるとも知らずに。
死に至る病の処方箋
個人というのは変わり映えしません。しかしあなたも私もサラリーマンは自分という商品を会社に売っています。
だいたいの人が大谷翔平にはなれませんし、猫山課長にも中野勇作さんにもなれません。
なのにも関わらず臆病な自尊心、尊大な羞恥心を抱えて歩いています。そのためお金を稼ぐために会社に行っているのに「お金ちょーだい」が言えないのです。
その必要で無い虎が死に至る病を発症させます。
だからこそ私やあなたは商品である自分を宣伝しなくてはなりません。臆病な自尊心や尊大な羞恥心をドブに捨てて。
大工には大工の言葉で、社長には社長の言葉で、上司には上司の言葉で自分という商品を理解して貰わなければなりません。
それが絶望に効く薬です。
以上が私の今回の処方箋でした。
臆病な自尊心や尊大な羞恥心を捨てて、絶望を回避するためにクラクションを鳴らせ!
お前がここにいることを伝えろ!それが絶望に効く薬だ!
それでは、また、日曜日に。
あどりでした。
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