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ショートエッセイ:あなたにだけは会いたくない

イギリスはロンドン郊外に、ハンプトン・コートという宮殿がある。
日本ではヘンリー8世の愛した居城として有名だと思うが、もう一つの名物は、幽霊。さすがはイギリスである。
幽霊の顔触れは、キャサリン・ハワード、ジェーン・シーモア、アン・ブーリン、ヘンリー8世、ウルジー枢機卿、エドワード8世の乳母シビル・ペン夫人、金髪の貴族の男の子、ジョージ王朝時代の関係者の"誰か"、監視カメラに映った謎の男…。

まぁ、旦那と私は別に気にも留めていなかった。見たことないしさ、イギリスで幽霊なんて。
ハンプトン・コート宮殿は広く、実に見応えがあった。ヘンリー8世ゾーン、ジョージ王朝ゾーン、スチュアート朝ゾーン…。余りに情報量が濃密なので、途中で日本語版のガイドブックを買って、首っ引きで歩いたくらいである。

朝早く来て入場したのにもうお昼近い。宮殿併設のカフェでパンとグレービー・ソースがかかった熱いビーフパイとスープと紅茶の昼食を摂った。パイをナイフとフォークでサクッと崩すと、濃い肉汁がジュワッとこぼれた。おいしい!!

その後も見どころたっぷりで、ようやく庭園の入り口までたどり着いた。
しかしここで突如旦那が
「俺、トイレ行ってくるわ~」
旦那はトイレに行くと長い。私は仕方なく、建物の柱にもたれてガイドブックを開いてパラパラした。
目の前は広い中庭になっていて、一面に芝生が生えている。真ん中には大きな丸い池があり、噴水が沸いている。人気はない。空はイギリスらしいというか、今にも雨が降り出しそうな陰気な灰色をしていた。

ガイドブックの目次に「片隅で、何かが動く……」というページがあった。
何だろ。とりあえずめくってみる。
お~い、公式ガイドブックなのに、どうして幽霊の話題を取り上げてるんだ?
例えば、
「暗い冬の夕方、ファウンテン・コートの特定の一角にいつまでも残らないようにする」
ファウンテン・コートってどこだよ…。

ここじゃん。


とっさに私は旦那トイレの隣にあった女子トイレに飛び込んだ。
しかしここにも人はいなかった。まぁ、周囲が壁なだけマシかな。安全そうだし。
手を洗っていると、鏡の向こうに鮮やかなポスターが貼ってあるのに気づいた。
振り返って見ると、こんなことが書いてあった。

"If only these walls could talk.
They might tell us if the ghost of Sibell Penn passes through them"

「もしこの辺の壁に口がきけたなら。
彼らは、シビル・ペンの幽霊が壁をすり抜けていったかどうかを教えてくれるかもしれません」

一寸待って。まさかここにグズグズしてると、トイレの壁をすり抜けてシビル・ペンが出てくるのか!!

私はトイレからすっ飛び出した。
幸いにも、旦那が出てきて待っていた。

帰国してから、シビル・ペンさんについて調べた。
彼女の別名は"灰色の貴婦人"。灰色のドレスを着て、ハンプトン・コート宮殿の南西翼や庭園に出没するのだそうだ。

しかし、無人の女子トイレ(南西翼にあった)で幽霊に遭遇する可能性というのはさすがにイヤだったなぁ…。私の叫び声を聞いて職員が来てくれても、「またですか」で終わるんだよね、きっと。


ハンプトン・コート宮殿の昼食。チューダー朝のお料理だったのかな? 美味しかったよ~。

新しいパソコンが欲しいです…。今のパソコンはもう13年使っております…。何卒よろしくお願い申し上げます…。