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ショートエッセイ:ウィーン―ハプスブルク家の点鬼簿より

地下へと通じる長い階段を下りたら、そこは黄泉の国だった。

ハプスブルク家の霊廟は、ウィーンの街の中心部にあるカプツィーナ教会の地下にある。Wikipediaによると、138体の亡骸、4体の遺骨が眠っているという。
この霊廟は、独特の重苦しい雰囲気を醸し出している。イギリスのウエストミンスター寺院のあっけらかんさとは違う凄味がある。
霊廟の中に入ると、中世のハプスブルク家の人々の棺が並んでいる。中には、ベラスケス画の愛らしい肖像画で知られるマルガリータ王女の棺もあった。
彼女はウィーンに嫁いで叔父レオポルド1世の皇后となったが、早逝した。死の床に喘ぐ彼女の周囲で宮廷の重臣は公然と次の皇后候補との結婚話を進める有様だった。享年21歳。

通路を行くと、女帝マリア・テレジア(マリー・アントワネットの母)の巨大な棺に遭遇する。
周囲には、彼女の子供たち、孫たちの棺が並んでいる。子供の棺は小さくて痛ましい。
マリア・テレジアは幾人かの子に先立たれているが、中でも哀れなのは九女のマリア・ヨーゼファか。
ナポリの皇太子との結婚が決まり、ヨーゼファは母マリア・テレジアに連れられてカプツィーナ教会に出かけた。地下の霊廟には、天然痘で死んだヨーゼファの兄嫁の棺があった。しかし彼女の棺は、封印が完全ではなかったのである。ヨーゼファは空気中に漏れ出した天然痘ウイルスに感染し、ほどなく亡くなった。まだ16歳だった。

ここで霊廟の通り道は直角に曲がる。
マリア・テレジアの孫に当たる皇帝フランツ2世の棺がある。この皇帝の代で神聖ローマ帝国はオーストリア帝国に形を変える。
フランツ2世は配偶者運が薄く、妻に次々と先立たれた。その結果、生涯で4人の妻を娶ることになった。この霊廟では、フランツ2世の棺が中央に置かれ、彼の4人の妻の棺がその周囲にひし形に配置されている。
その中で3番目の妻、マリア・ルドヴィカは28歳で皇帝に先立ち早逝した。彼女の棺はこの霊廟に安置されたのだが、死後10年後、信じられないようなことが起こる。

皇帝の命で、棺の蓋が開けられ、彼女が亡くなったとき指に嵌めていた小さな指輪が取り出されたのである。作業は真夜中、ろうそくの火を頼りにひそかに行われた。
どういう意図があったのか、その指輪はどうなったのか、何も解らない。

更に進むとフランツ2世の息子フェルディナンド皇帝と皇后マリア・アンナの棺。
ここの壁の中に、フランツ2世の娘、マリア・アンナ皇女が眠っている。
この皇女は生まれつき知的障害があり、顔面が変形するという奇形に苦しんでいた。国民の目から隠され、死ぬまで座敷牢で暮らすことになった。

隣の部屋には19世紀のハプスブルク家の皇族たちの棺が並んでいる。
ここでは皇女マティルデの悲劇について触れたい。
18歳だった彼女はある晩観劇に出かける前に、部屋でこっそり煙草に火をつけた。
途端に廊下で足音がした。誰かがこの部屋に入ってくる!
19世紀、女性が人前で煙草を吸うことはご法度だった。慌てた彼女は咄嗟に後ろ手に煙草を隠した。
着ていたドレスに火がついて、瞬く間に彼女は火だるまとなった。
全身に重度の火傷を負った彼女は治療の甲斐もなく苦しみ抜いてこの世を去った。

旧家ハプスブルク家の横死者はこれだけではない。遠くメキシコで処刑されたマクシミリアン皇帝、マイヤーリンク事件で心中をしたルドルフ皇太子など、ここに書ききれない大事件で死んだ皇族もいる。

ただ、それぞれの哀しい死者たちの棺の前に立ち、彼らの物語を思い出したとき、私は深いため息をついた。ハプスブルク家の歴史には、余りにも多くの悲劇と謎が隠されている。

階段を昇って、教会を出たとき、何とも言えない陰鬱さから解放され、外の新鮮な空気にホッとした。

P.S. 女性皇族ばかり取り上げましたが、たまたまです。次は男性皇族編を書こう…かな?

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