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前半中に選手を替えることへの是非

自分が観たW杯で一番古い記憶は86年のメキシコW杯だった。その前年にトヨタカップで来日したフランスの将軍・プラティニに魅了されて人生が決まってしまっていたのでひたすらフランスを応援していたのだけれど
(準々決勝のフランス−ブラジルは今でも色褪せない伝説の名勝負)

言わずもがな、あの大会はマラドーナが主役の座もすべての話題もかっさらっていた、マラドーナが神になった大会だった。

「あのマラドーナ」をリアルタイムで見た世代と見ていない世代で、サッカー界は線引きできてしまう。それほどにマラドーナは神様が産み落とした神の子であり、あの86年で名実ともに神になった。

あれから36年、アルゼンチンは優勝から見放されたまま。その間、マラドーナを引き継ぐ、いや超えると言われる「神の子」メッシが登場したもののメッシは代表ではその能力も魅力も輝かないまま。

メッシとは何だったのか。どうすればW杯を獲れるのか。その答え合わせが、2022年の今回ようやく完遂したと言えるのだろう。

自分はメッシが大好き。だから今回のW杯の結末は本当にたまらなかった。延長後半、メッシが3点目を決めたときはリアルに泣いたかんね。
メッシについて書き始めると止まらなくなるので、ここではこれ以上書かずに自身のコラムで改めて書きました。よかったらどうぞ

さて
ここまで書いておいてなんですけども、W杯はそれほどに価値のあるものなのか、という一つの疑問が浮かんだのでここで軽く触れてみたい。

あの決勝戦、前半でアルゼンチンが2−0でリード。Abemaの解説で本田さんもしきりに言っていたようにフランス右サイドのデンベレが完全に消されて、消されるだけならまだしも守備面で完全な「穴」に陥っていた。それはおそらくアルゼンチンのスカローニ監督の狙い通りで、準決勝をしっかり休ませたディマリアをこの決勝ではスタメンで出場させしかも珍しい左サイド。つまりデンベレに当ててきたことは明白だった。

意図的にディマリアを経由する攻撃を仕掛けるアルゼンチン。ディマリアだけでなくそこにフラフラっとマクアリステルとかいろんな選手が絡みにいくことでデンベレが完全にパニック、サッカーを知らない小学3年生のように、ただただピッチ上を彷徨っていただけ。
1点目のPKも献上し、2点目も、彼のザル守備が露呈した。

「デンベレ替えたほうがいいっすね」と本田さんも言っていて、自分もそれは思ったけれどいくらなんでも前半のうちに交代はさせないでしょ、と思っていたんですよ。最低でもハーフタイムまでは待つだろうなって。交代回数も消費したくないし(ハーフタイムの交代ならば回数に含まれない)
それは同時に、アルゼンチンの意図を読めずにデンベレをスタメン起用したデシャン自身の致命的な采配ミスをデシャンが自ら証明することにもなるわけで。

何よりもトップレベルのゲームで、前半のうちに交代なんてまず見られない光景。
前半のうちに交代させたらそれこそデンベレが世界中の晒し者になってしまう。

デンベレが悪い、だからリードされている、だからデンベレを前半中に替える。
その意図を露わにし、交代させられピッチを去るまだ若いデンベレの姿を世界中に映し出させ彼を晒し者にしプライドを傷つけるようなことを、いくら勝負師デシャンといえどするわけない、と。

そんなことしたら彼のプライドはきっとズタズタになる。サッカー選手としての将来にも傷がつくんじゃないか。自分はそう考えた。だから前半のうちから替えるなんて絶対にしない。
みたいなことを、まるで意識高いキラキラ指導者を気取ってTwitterに書こうと思っていたら、、

デシャン、前半中にまさかの速攻替えw
しかもデンベレだけでなくベテランのジルーも一緒に2枚替えww

ジルーは驚き、ベンチに帰った後、ボトルを地面に叩きつけベンチを蹴り上げ、感情を露わにしていた。

ふたりの選手のプライドを傷つけてまで、W杯は勝たなくちゃいけないものなのか。あそこまで楽しんで熱狂させてもらっておいてこういうこと書くのも実に勝手なんですが、たかがサッカー、たかがW杯。
いくらプロとはいえ、選手を傷つけてまで優先すべきものではないと僕は思うんですよね。

そこまでする?と素直に思った。もちろん第三者的に見ていたからそう言えるのだろうし、自分がフランス人だったらまた感想は違ったのかもしれないけれど。

例えその采配が功を奏してW杯を優勝したとしても。
あの交代をしたこと自体が指揮官としての失敗だし、結果的に優勝したとしてもそうまでして手に入れるトロフィーに、一体どれほどの価値があるのだろうか。

才能豊かで未来ある若者と
ここまでチームを牽引してきた大ベテラン

このふたりをあの場面でベンチに下げる。これで成功したら名将?僕はそうは思わない。デンベレもジルーも一流のプロフェッショナルなので、今回のことも納得はせずとも理解はして受け入れてはいたのだろうけれど。

もちろん、W杯が人々の人生を豊かにし、狂わせ、一生を捧げるにふさわしい価値のあるものだということも充分に理解はしています。
でもやっぱり、個人的にはモヤモヤが残る。

自分が選んで送り出した選手を前半中に替えることと、途中から交代で出場させた選手を試合中にまた交代させる「インアウト」は、指導者としてやってはいけないことだと思ってる。(もちろんそこに賛否はあっていいのだけれど)

選手を傷つける可能性が高いし、自身の能力のなさ、もしくはそれが言い過ぎならば「自身の大失敗」を、交代を命じられて戻ってくる選手の姿を使って指導者自身が自ら晒しているようなものだ。

そしてこの「前半中の交代」と「インアウト」をやっちゃうと、サッカーの神様のお怒りを受けるのか、たいてい負けるんですよね。だから勝ちたいのならば尚更やらないほうがいいです。

育成年代の指導と世界トップカテゴリーでの采配を同じレベルで語れないかもしれないが、過去の自分は「前半中の交代」も「インアウト」もやったことはある。小学生にも中学生にも高校生にも。そんな過去の自分の行為に対して今はとても恥ずかしい思いでいるし、反省している。

あの決勝戦。あそこで優勝したとしても負けたとしても、前半でデンベレとジルーを交代させた采配はデシャンが自身の職を賭ける覚悟で決断した行為だと自分は思っていた。
勝とうが負けようが、代表監督を辞めるつもりであの交代策を取ったのだろうと。自分ならそうする。それが「責任」というものだろう。

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