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意識がない時の夢


2021年9月6日 深夜、私は自宅で倒れ、病院に搬送され、ER(救命病棟)で意識レベルが低くなり、薬で眠らされCT、MRI、MRAの検査を受け、くも膜下出血と診断され、9月6日月曜日の明け方、コイル塞栓術の手術を受ける事になる。

私は意識がなかったので、もちろん覚えていないが、私の肉体は病院内を移動し、多くの人に助けられたのが分かる。


意識の向こう側


意識がない間、私はどこにいたのか?
私の意識が戻ったのは9月8日水曜日の夕方だ。

意識がない間、私はこんな夢を見ていた。

目を開けると真っ暗な所にいる。
歩いて進もうとするが、暗すぎて進めない。
怖くなってその場にしゃがみこんだ。
どうすれば良いか分からず、体育館座りをしてひざに顔をうずめずっと座っている私。

次は、目を開けると病院のベットに寝ている私がいる。すると私の右手を誰かが揺さぶる。
ぼんやりみえる視界の右側に男性がいる。
亡くなった祖父だ。
口パクのように何か私に言っているが、
聞こえたり聞こえなかったりする。
聞こえた言葉は
「どうしたことだ。こんなんじゃいかん!」
と心配している。ずっと私の右手を掴み揺らしていた。祖父は亡くなった時より若い姿だった。

そしてまた私は病院のベットで寝ている。
ベットの足元と私のすぐ右横に亡くなった知人2人が笑い合いながら話している。たまに2人はよくわからないが大笑いしている。
亡くなった2人は友人同士、私も2人の知人だ。

すぐ横にいた女友達は癌闘病の末、私が倒れる1年前に亡くなったので棺の中の彼女の顔を鮮明に私は覚えていた。今は随分元気で肌艶良く幸せそうだなと思った。
ベッドの足元にいた彼は
「愛ちゃんお葬式の時はありがとう!」と笑顔で伝えてくる。突然若くして亡くなった彼の奥さんを葬儀中、支えてあげたからかな…と思った。
すると私の横にいた彼女が
私の両肩を揺さぶり顔を近づけて
「本当に起きないとダメだよ!起きて!!」と大きな声で言ってくるのだ。
その声ははっきりと今でも覚えている。

次の場面は、とてつもなく壮大で黄色や金色の光に包まれた夢。私はその光の中に飛び込みたかった。だってきれいで見たことない景色だったから…
ふと目に映るのは笑顔が可愛い女性。私はすぐにアメリカの義母だとわかり、「Hi!」と挨拶をしに行こうとした。すると向こうから走ってくる男性がいて、身振り手振りで来てはダメだと私に言っている。また口パクのようになり、何を言っているかわからないが、私の両肩を掴み必死に阻止していた。その男性はアメリカの義父だとすぐ分かった。

私が見た夢の中では、亡くなった人達はみんな若い姿で、誰もが美しく勇ましかった。
この世の人達よりもずっとイキイキしていた。

臨死体験

そういった話を退院後に何気なくすると、知人のEさんがそれは「臨死体験」だと教えてくれた。

彼は当時小学生だった息子さんを亡くし「息子はどこに行ったのだろう?」とありとあらゆる著書を読み、死後の世界を知ろうとしたようだ。

そして日本では臨死体験をオカルト的に捉える人が多いが、西洋では「臨死体験」を真面目に学問的に研究し、心理学者や神経医や脳科学者など多方面に研究団体が組織されている。

臨死体験とはいったい何なのか。その意味づけと解釈をめぐってさまざまの議論がある。一方にはこれをもって死後の世界をかいま見た体験であるとし、臨死体験は、魂の存在とその死後存続を証明するものであるとする人がいる。他方では臨死体験というのは、生の最終段階において弱りきった脳の中で起こる特異な幻覚にすぎないとすると人がいる。

立花隆 臨死体験(上)


本舞台

私はそういった夢を見て感じた事は
あちらの世界の方が本舞台と感じた。

この世は、あらゆる制限がある。
その中でいかに生きたか?全うできたか?
言葉ではいい表わせないほどの壮大な世界に行く前にそれを問われる。
自分が自分に問う瞬間が必ずある。

「あの劇場であなたの役を精一杯演じれたか?人を助けてあげたか?」と問われた気がした。

私達の司令塔である脳の作用も実に不思議だと思う。私達人間はさまざまな事ができ、感じ、考え、意思決定もできる。おまけに死ぬ間際にそんな幻覚も見せてくれるのであれば、脳=宇宙だねと思ってしまう。

そして意識がない=無ではない。

意識がない3日間に、私はキャスト全員故人のなんとも優しい愛に溢れる壮大な映画を観ていた。


次はこの世の病院のベットで目覚める話へ。
つづく

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