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くも膜下出血で倒れる

私は2021年9月6日(月)深夜1時頃自宅で「くも膜下出血」で倒れた。


倒れる前の症状

2021年9月5日(日)私はなんとなくスッキリしない頭痛に朝からずっと悩まされていた。

いやこの日だけではない。ここ最近ずっと軽い頭痛が続いていた。その週はお天気が良くなかったので、きっと気圧のせいだろうと思っていた。

私は日曜日だしゆっくりしようと、その日の午前中はずっと横になっていた。夫と娘は2人でよく出かけるのでその日も休みを満喫しようと出かけて行った。
「じゃあね!」と私はダラダラと家で寝ながら過ごすことにした。
私は疲れている…

12時ごろ、一旦お昼ご飯を食べようと起きてみたが、ズキズキくる頭痛が嫌でロキソニンを服用した。私は普段ロキソニンは服用しないのだが、その日はなぜか早く痛みをなくしたいとロキソニンを手に取ったのを覚えている。

そして夕方まで「ロキソニン効かないな…」と横になっていた。今思えば、この時に動脈瘤は破裂するための準備をしていたのかも知れない。

そうこうしているうちに、夫と娘が帰ってきて「夕ごはんはどうしようか?」と聞かれ私は「今日は絶対に作れない、お弁当やさんで買ってきて。」と夕ごはんの提案をしたようだ。
後から聞いた娘の話によると「ママは普段食べないものを食べたがっていたからおかしいな…」と感じていたようだ。
このお弁当を強く頼んだ経緯などは、私自身あまり覚えていない。
もし私が死んでいたら、最後の晩餐は弁当屋の「のり弁」だった。

そして夫は私の目がいつもと違うと感じていたようで、私の目をチェックするように見ていた。

2人は買ってきたお弁当を食べ、お風呂にも入り明日は月曜日で学校もあるのでと早々に就寝していた。

私は、2人が寝た後に買ってきてもらったお弁当を食べ始めた。美味しいが全部は食べれない。

まだ頭も痛い、だけど昼間よりはマシになった。
お風呂にも入り、さぁ今から寝ようとした。時計をみると日付は変わり9月6日深夜0時半。
you tubeを少しだけiphoneで見たり、facebookをさっと見たり、ゆっくりしていた。


脳動脈瘤破裂

すると突然、頭の後頭部に線香花火の先端部分の火花のような物が一瞬にして、頭のてっぺんに向かいスーと走るのを感じた。
何これ?初めての経験だった。

頭のてっぺんにこのヒートが来た途端、パーンっと何かが弾けた!
痛い!!痛い!頭が痛い!

立ち上がろうとするが足に力が入らず、手先はビリビリと痺れる。
その時、自分の両手を見つめた。
どうしたんだ?
視界もぐらっと揺れたように感じた。
携帯がつかめない。

頭が痛い!
いや痛いというか風船の中の空気が少しずつ抜かれていくように魂が抜かれていくのがわかった。
立ち上がることはできない。

別室にいた夫によると私が「ギャー、わぁー!!」と訳が分からず叫んでいたので、何事かと見に行くと、リビングの床に倒れている私を見て、驚きすぐに119に電話をする。
救急隊員から「奥さんに代わってください。」と電話で私は容態を聞かれ、おまけに住所まで聞かれた。しかもちゃんと私は答えれている。
少し寒かったので「靴下を履かせてくてくれ。」と夫にもお願いもしている。

夫に体を支えられていた間、私の体の中はものすごいスピードで、何かが起こっているのを感じた。

頭の中で何かが起こり、それから光の速さで手足が痺れたり、何かが逆流するように嘔吐をしたり、私の体は一体何が起こっているのか!
薄れていく意識でそう感じていた。

まさか自分がくも膜下出血で死にかけているなんて想像もしていない。
自分がくも膜下出血だとちゃんと理解できたのは入院してしばらく経ってのことだ。

救急隊員が到着するまでの間、夫は私の手首の脈拍を時計を見ながら測っていたようだ、微かな脈拍を測るのはとても難しかったようで、正確ではないかも知れないが脈拍数は44。慌てて心臓マッサージをしようとした時に、救急隊員がいいタイミングで到着した。

私は朧げに目を開けると救急隊員3人が担架やいろいろ持ち、玄関からこちらに向かって来ようとしているのを見た。

動脈瘤が破裂し死にかけている時に、私の左脳は救急隊員の足元をみて
「えっ、土足?土足なら後で掃除しないといけないな…」と思ったのを覚えている。

これはおもしろいエピソードだと思う。

実際は救急隊員の方は透明なビニールのものを靴にカバーして入ってきたのだが、死にかけている時も余計なことを考えるのが人間である。

この世で目にするものが最後かも知れないのに、私の左脳はこんなくだらない事を考えていた。
生きている間、それは本当に必要なものかと考えるいいきっかけにもなった。だいたいどうでもいい事で悩んでいるのが私だと気がついた。

私のおかしな記憶の間、夫の話によると救急隊員の方は手動人工呼吸器ポンプで酸素を私に与え、病院到着までに十分な酸素と正常な脈拍に改善しようとありとあらゆる手を尽くし命を助けてくれた。


病院へ搬送

119に電話して、救急車は10分以内に我が家に到着し、そこから10分以内で急性期の高知日赤病院に搬送された。
病院に到着してからも、くも膜下出血によって頭蓋内圧が上がった影響でぼんやりしたり、意識がないところもある。
今の主治医によると「エレベーターの中にいる時にグラントさんは意識がなくなっていたと聞いた。」と話してくれた。これはきっとCTを撮るための移動中だ。全く覚えていない。


救急救命の処置室での記憶が、私の最後の記憶だ。

仰向けで処置台に寝かされている私のまわりにはたくさんの人がいた。
さっきの救急隊員の人もいた。
怖い…

「服切りましょうか?」
でっかいハサミでTシャツを縦半分に切られた。
何かみんなで話してる。
聞こえたり聞こえなかったりぼんやりしている。

なにやらバタバタしている

怖い

この人達は私に何をするのか


私は今までずっと元気だった。
何も悪いところはない。

すると優しい声の男性が「大丈夫ですよ、ゆっくり息を吸ってくださいね、大丈夫ですよ…」酸素マスクのような物を私の口にゆっくり、スローモーションのように当てた。

一瞬で意識がなくなった。
時間も痛みも自分も消えた。
何もかも消えた。

病院で切られたTシャツ


搬送された病院

家に残された娘

かわいそうなのは、まだ小学生だった娘だ。
救急隊員が来た事で「え?なに?」と目をこすりながら自分の部屋から出て目にした光景は、担架で運ばれる母親。
その後、家で1人残された娘は私の嘔吐を片付けながら「お母さんはお腹の病気になったんだ」と思ったようだ。

本来ならば娘のところに誰かいるべきだが、突然の事すぎて、夫は死にかけている私の付き添いで救急車に同乗し、私の父親もよく状況が掴めていないまま、私がいる病院に駆け付ける。

昨日まで元気であった人が、今死ぬかもしれないという状況になると、人はどうすればよいか正しい判断ができなくなる事もある。
後々考えればこうすればよかった、こう話せばよかったという事も頭が真っ白になり思考が止まる事もあるだろう…

人生の終わりは想像以上に唐突で、全ての瞬間を一瞬にして奪われる別れもある…

誰の人生も突然終わる可能性がある。

明け方までかかった手術に、主治医からの説明。
CTからの脳出血している画像を見て、夫は恐ろしかったと言っている。一連の私を見た彼は、妻は本当に死ぬかもしれないと感じたようだ。
しかし微かな脈拍があった私の生命力を信じた。

くも膜下出血は3人いると、3分の1は亡くなり、3分の1は社会復帰ができないほどの重篤な後遺症が残り、3分の1(30%)の患者が社会復帰できます。」

私の家族はある程度の覚悟を決めていた
おそらく多くの人が…
全快は難しいだろうと…

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