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普通の中に潜む異常性

ある友人の話であるが、彼女は「普通に生きること」を目標にしている。

その理由は自分が「普通(normal)」と「異常(abnormal)」との間で揺れているからだという。

客観的、表面的には普通に学校生活を送り、普通に就職活動し、これからも普通を装って生きることはできる。しかし、自分には普通ではないところもあるという。詳しくは説明できないが、その話をすると、周りが少し困惑をするような、普通であるとは言えないような行いをしてしまうそうだ。

ここで、私が考えたのは多くの人々が表面的には普通であっても、その裏には異常性を抱えていることが往々にしてあるのだと思う。私たちは綱渡りをしていて、真っ直ぐ普通に歩こうとしても、何度もよろけたり、落ちそうになったり、落ちて戻ることが難しくなることがある。「普通に生きること」は一番簡単そうに見えて、実は一番難しい。途中でうつ病になるかもしれないし、リストラされるかもしれないし、離婚して家もお金も全て失うかもしれない。薬物依存になるなもしれない。自分は大丈夫と思っていても、そうでない場合も多い。私たちはみんな異常性を抱えており、それが何かのきっかけで発露することがある。きっと人々がイメージする異常な人というのは、その異常性が顕在化した姿なのだと思う。これまでは隠し、抑圧しようとしていたものが何かのきっかけで押さえつけられなくなってしまうのではないだろうか。私たちは異常な人を見て、恐ろしく感じたり、気味悪く感じたり、軽蔑したりする。それらの行いは、自分の中にある異常性から目を背けたり、抑圧しようとするためだとも考えられる。私たちは異常な人を通して、自分の中にある異常性を見ているのではないだろうか。「普通」と「異常」との間には境界線があるようで実際には、ないのかもしれない。


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