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"5" 5月5日~365日の香水

1921年の5月5日、今でも「世界で一番有名な香水」シャネルの五番が(N゜5/chanel)が誕生した。
この香水について、香りに携わる者として私は何を言えばいいのだろう。あまりに多く語るべきことがあり、実に多くがこれまで語られてきた。
調香師、革新性、シャネル自身、そういうことと少し離れて、この香水を考えたい。

奇跡のロングセラーとその危機
100年以上も香水としての命が続くことは稀有だ。
大幅に香りをリニューアルしてその伝説的な名だけを冠するか、あるいは一度途絶え、”現代にローカライズ”した復刻版になるか・・・。
生涯現役のまま100年以上走り続ける香水、それがNO.5。
この香水にも実は、危うい時期があった。
マドモアゼル(ココ・シャネル)とパルファンシャネルの共同経営者であったヴェルタイマー兄弟、彼らはユダヤ系の実業家であったため、ナチスドイツが侵攻する直前にパリを離れ、最終的にアメリカに行きついた。
(義理の息子たちの一人はレジスタンスとしてフランスに残り強制収容所から生還したはず)
アメリカでの香水製造を決意したヴェルタイマーは、シャネルNO.5 に“なくてはならないグラース産のジャスミン”を確保することを試み何とか成功する。それは決死の作戦であったといっていい。
ジャスミンの買い付け、アメリカでの工場設立などでNO.5が途絶えることは回避されたが、大量の資金を使い、香水の宣伝費にほぼ予算を使えない状態になってもいた。
それでも、この香水は売れ続けた。
ヴェルタイマーの亡命があと数日遅れていたら、経営者がアメリカでの香水製造という危険な賭けにでていなかったら、NO.5は現存していなかったかもしれない。

伝説を復活させた間接的な功労者
ファッションがそうであるように、香水にもトレンドがある。世界一有名なだけでは、存在し続けることは難しいし、伝説にだけすがっても時代の需要にはこたえられない。NO.5 は新しい時代の扉を開き、伝説をつくり、その伝説が廃れそうになる危機を脱し、伝説を復活させた。そして生きるレジェンドを体現している。
このことに間接的にカール・ラガーフェルドの貢献があると私は考えている。彼は傾きかけたシャネルのメゾンを復活させた功労者。皇帝といわれたカール・ラガーフェルドのシャネルでの口癖は「これはシャネル的(かどうか)」だったという。どんなに良い出来栄えでも彼が考える「シャネル的」ではないものは見直された。
シャネルの本質をつかみ、それを守護することが彼のクリエイティブの核になっていたのだろう。

ココ・シャネルは伝説になり、NO.5は伝説のアイコンになった
香水NO.5 もまた「シャネル的」存在だった。
メゾンが「シャネル的」であるかどうかが大事ということをラガーフェルドのクリエイティブ哲学を通して実感した時、もう一つ立ち返るべき大切なものはNO.5 と気づいたのではないだろうか。
マドモアゼルこそシャネル社の財産、彼女のアイコンとしてのNO.5 こそメゾンの”推すべきもの”と確信したのではないだろうか。
バトンはこうやって渡されていくものなのか。
(そう考えると現在のシャネルのクリエイティブディレクター、ヴィルジニー・ヴィアールの重責、重圧は計り知れない)

秀逸なだけでなく、その本質を理解するバトンの受け手がいること、それぞれのプレイヤーの決断と運、そういうものがつながって、この香水は現役のままトッププレイーのまま、伝説になっている。
世界一有名な香水は世界一強運な香水だった。

N゜5 parfum/chanel/1921
香りについて語る必要があるだろうか。豪華な天然香料を覆う合成香料のアルデハイド、ミドルノート以降に特に拡散していく子のアルデハイドとフローラルの協奏は、いつの時代にも今日的だ。

香り、思い、呼吸。
5月5日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。

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