見出し画像

ジプシー・クイーン

占いジプシー

大戸屋で5回に1回は食べる、「鶏と野菜の黒酢あん定食」

いつもは苦手なニンジンもしっかり食べるが、今日くらいは残すのを許してほしいという気持ちになった。ニンジンと対峙する前提なら、最初から頼まなければ良いのだが、無性に「あんかけ」なんとかを食べたくなる時もある。そんな事情も全部、自分自身に加味してあげたいくらいご機嫌斜めだったのだ。お皿の上のつがいのニンジンを交互に見つめていると、憤りと哀しみの感情も右往左往していた。この残されたニンジンで、何円くらい損しているのだろう。

そもそもの元凶は、とある占い師。

占「この人結婚するつもりないよ。」(自称の霊感で)
私「あ、そうなんですね。でも、この前将来についてちゃんと話し合いました。」
占「まあ、アプリには結婚を餌にして寄ってくる男もいるからね。」(タロットを開き始める)
占「あぁ、やっぱり相性良くないね。」(良いカードが出ているにも関わらず)
私「そうなんですね。でも、このカードは○○って意味じゃないですか?」
占「……」

彼女は、一向に自分の間違いを認めようとはしなかった。いかにも、初手で言ってしまったことを曲げないために意地を張ってるという感じだった。この時間とお金は何だったんだろう。件のニンジンがそれに追い打ちをかけたのは、言うまでもない。

ここ10年で優に100人は超える占い師に出逢ったが、自分と相性の良い占い師を探すのは物凄く難しい。周りが絶賛する占い師でも、自分には全然ということはよくある。また、その逆も然り。

私は、何か1つの大きな恋をすると2週に1度は占いに通わないと落ち着かなくなる。占い師探しの旅に出る、占いジプシーなのだ。既に1軍の専属占い師を抱えてはいるものの、欲が生じて2軍3軍と求めてしまう。

その旅に出た結果、占い師の善し悪しを瞬時に判断できるようになった。凄腕の人気占い師たちは、事ある毎に「天使とかユニコーンとか妖精とか」を召喚させたがるのだ。目に視えない存在に現を抜かされるのはなんだか不思議な気もするが、強力な恋のフィルターが掛かっていると、妙に説得力が増す。アラサーにもなって、そんなスピリチュアルな偶像たちに助けられるなんて思ってもみなかった。

そして、彼女たちは絶対に悩みを全肯定することを忘れない。それに通ずることだが、タロットカードは正位置のみを取り、逆位置を取らずに占う。それとセットで「天使とかユニコーンとか妖精とか」のオラクルカードを多用する。

逆に、目の前にいるお客の感情やバックグラウンドを理解せず、好き放題伝えてくる占い師はきもいなって思ってしまう。自分のお遊戯会か何かと勘違いしているのかなって。そんな占い師たちは無駄にベテランぶってるし、決まって言葉遣いも無作法。そして、大前提に接客業であるということを忘れている。対価が発生していない知人相手の占いならまだしも、そうではないならただの自慰行為と言っても過言ではない。リアルに、どちらがお客か分からないカオスな状況になる。

そのような占い師から唯一得られるものと言えば、自分が名のある占い師になった時に、「絶対にこうはならないでおこう」という反面教師な気持ち。哀しいけど、勉強代だと思うしかない。

そして、若い時のような自分本意な恋愛(恋愛オナニー)は絶対にしてはいけないと悟る。あの頃は若さ故に、自分の感情をかなり明け透けにしていた。それを踏まえ、アラサーの今はその塩梅をしっかり付けたいと思っている。心の余裕とでも言おうか。また、余裕=安心感とでも言おうか。

安心の定義は人によって様々だが、自分が安心と感じていることが、相手には不安と感じることもある。自分の常識が相手には非常識というような、それに似ているのかもしれない。その安心を与え過ぎてしまうと都合の良い女になり兼ねないし、手薄になりすぎても見限られてしまう。その塩梅をしっかりとってこそ、真の余裕のある女だと思う。

余裕のある女ってクールだしね。かの有名な中森明菜大先生のように「私、余裕あります!」みたいな男勝りなオーラを醸し出したい。でも、それと同時に彼女がとても繊細な女の子だったのも知っている。やはり、安心と不安は表裏一体なんだな。

彼女の有名な曲の1つ、『ジプシー・クイーン』の歌詞に「タロット・カード捨てて夜明けを重ねてゆく」という詞がある。

嫌な占い師に出逢った時は、正にその心意気でいいのだとその曲が教えてくれた。自分の好きな時にタロット・カードを拾い、そして捨てる。結局は、都合の良いように解釈していいのだ。いつだって、ジプシー・クイーンのように。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

私のストレス解消法

#創作大賞2024

書いてみる

締切: