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秋愁センシティビティ

どうせ去って行く奴

あえて、ジャルジャルのコントのタイトル風に書いてみる。レインボーのコントのタイトル風ではなく、あえてのジャルジャル。そして、ついに十六夜も去って行った。

どうせ去って行く奴って、やっぱりすぐに去って行くんだな。そう、秋みたいに。今年も秋がやって来たと思ったら、すぐに去って行った。体感は1週間もなかったかな。毎年、毎年、その体感日数の短さは更新されているように思う。「どうせまた、すぐ去って行くんだろ?」っていつも思ってる。分かってるから。来年もね。そんな、秋愁センシティビティ。

なんか、この愁いさってあれに似てる。マッチングアプリで出逢った、ほぼ付き合う確定の男と身体の関係を持ってしまって、結局付き合えずに去って行った奴。それまでのあらゆる過程で絶対に付き合えると過信し、自分が彼の中で1番の存在だと思ってた奴。駆け引きの最中で、ブリジット・ジョーンズからキャリー・ブラッドショーのような女に成り上がれたと自信に満ち溢れていたのに、それ程の手柄もなかった奴。色んな失敗を繰り返すのだけれど、マッチングアプリで起こり得るアクシデントは大体同じだし、「あぁ、またね」と私のセンシティビティを刺激する。そんな芳醇な感情は、秋の愁いさと同じなのだ。

あらゆる秋愁の上位互換を考えれば考える程、心身共に侵食してきている冬に更に冷却された気持ちになる。そんな凍てつく心に追い打ちをかけるのが、「クリスマスどうしよう?」なのだ。本当に止めてほしいし、そんなにすぐにやって来なくて良い。そして、脅威的な寒さが、私のセンシティブな感情を掻っ攫うようにやってくる。それらは決して単一ではなく、厄介な程にバリエーションを変えてやってくるのだ。それがまた長く、忍びを強いてくるのが気に食わない。そんな冷酷な冬は、間違いなく秋の逃避行を手助けしている一派である。それと共に、色んな期待も逃げて行くのが居た堪れない。

恋愛でも、期待して何もないのはやっぱり嫌だしね。どうせ去って行く奴って分かるのは、そのフェーズに突入しないと分からないし、結果論でしかない。「あぁ、こいつもどうせ去って行く奴なんだ」って体感しないと分かり得ないのが、「どうせ去って行く奴」なのだ。期待や過信をしないことは、何かあった時の感情の起伏を抑える保険にもなる。でも、人に何も期待しないこと程、悲しいことはないだろうなと思うこともある。目の前にいる大切な人を、過去の「どうせ去って行く奴」のせいで失いたくはない。過去の「どうせ去って行く奴」はただのVHS的な存在であり、一生再現されなくても良いのだ。巻き戻しも早送りもしたくない。

あ、10月に「どうせ去って行く奴」に出逢ったんだった。ちゃんと1円単位で割勘するのに、ちゃんとまとめて勘定で領収証貰う奴。どうせ去って行く奴すぎた。

どうせ去って行く奴の後を追っても仕方ないけど、やっぱり秋は追いたいな。どうせ、また来年も戻って来るけど。少しでも長く佇んでいられることを願って。

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