見出し画像

日本仏教の概略

 インドで生まれた仏教思想は日本書紀の文献によると中国、韓国を経由して6世紀に日本へ入って来たそうです。日本はそれまでも遣隋使や遣唐使を始めとした交流手段を通して中国文化の影響を受けて来ていましたし、朝鮮半島の国々とは縄文時代から交流があったようですから、仏教思想はごく自然に日本に入って来ました。

 仏教はインドではほとんど亡びてしまっていますが、その精神は今日でもヒンドゥー教等の中にその思想は根付いているようです。マハトマ・ガンディーのような人々は正にこの仏教思想を含有したヒンドゥー教精神に生きたと言えそうです。

 仏教がインドで発展しなかった主な原因は、仏教があまりにも抽象的すぎて、人間の今生きる現実の生活とかけ離れていたからだろうと言われています。生活の役に立たない、利益にならない、現実の生活には必要ないと思われたからだそうです。有が無で、無が有であるとか、心がどうの、認識がどうのなどという、難しく、所謂、哲学的すぎた思想には満足できなかったのでしょう。確かにナーガルジュナ(龍樹)の中論に代表される中観思想やアサンガ(無著)ヴァスバンドゥ(世親)兄弟の唯識思想を理解するには相当な勉強が必要ですね。生きるために必要なのか否か私にも分かりません。

 日本に始めて入って来た仏教は、法相宗、華厳宗、三論宗、俱舎宗、成実宗、律宗の南都六宗ですが、この思想はすべて、所謂、ナーガルジュナ(龍樹)の中観派思想やアサンガ(無著)ヴァスバンドゥ(世親)兄弟の唯識思想に基づいた仏教でした。仏教の根本思想である「空」「無」の思想のことですね。この「南都六宗」という言葉は平安時代に、京都から見たら南方面にあったかつての都、奈良を南都と言ったのでそう言われたのですが、奈良仏教と言った方が分かりやすいかもしれません。今もたぶん高校の日本史教科書に載っていると思うのですが日本における法相宗の代表的寺院は奈良の興福寺や薬師寺、華厳宗の代表格は奈良の東大寺です。三論宗、俱舎宗、成実宗、以上3宗派は消滅し日本にその寺院はもはや現存しませんが、ただこの思想は法相宗や華厳宗の中にしっかり生きています。律宗は鑑真和上の唐招提寺ですね。この南都六宗の全てはまだ中国での強い影響を受けないまま、所謂、インド的仏教思想のまま日本へ入って来ました。

 これらのインド思想である「空」「無」の哲学思想が今も日本仏教の根本を成しています。日本に今もある、浄土真宗、浄土宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、禅宗(臨済宗、曹洞宗)‥等、どの仏教宗派も全てこの根本思想である「空」「無」が基にあり、その基の展開の広がりから各宗派に分かれていったわけです。

 仏教というよりむしろキリスト教に近いとさえ言われる親鸞を始祖とする浄土真宗の代表的なお経の1つ「正信念仏偈」にもナーガルジュナ(龍樹)が「龍樹大士」として、ヴァスバンドゥ(世親)が「天親菩薩」(浄土真宗では世親を天親と表現)として登場しています。親鸞も決して仏教を否定したわけではなく仏教根本思想である「空」「無」を勉強した上で彼の浄土思想を展開したわけです。私の考え方で言えばこの「空」「無」という仏教の根本思想はドイツ観念論哲学のフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの思想に表現は違っても極めて近いと思います。また律宗の宗旨は論理やお経(教え)の研究のみに走らず、現実の今生きる人間として生きるための戒律を実践した生き方をすることを重視したものと言えそうです。

 私はこれからも各宗派への広がりよりも、この「空」「無」の仏教根本思想をドイツ観念論思想と対比しながら掘り下げて勉強して行きたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?