「楽をすること」と「楽しむこと」とは全く違う

タイトルに「と」が多いと思いました。
ゲームの解説動画で「マジで楽!」みたいなタイトルがあって、(そういうのは別にいいです)と思って見なくなった。

というときに考えたのが上のタイトル。
漢字こそ一緒だが受け取る印象は全く異なる。
そういえばマジって真面目の略らしいですってよ。
え?マジ?
青天の霹靂だ。
ところで青天の霹靂というお米があるらしいです(今日知った)。

誤解しないで欲しいが、ブラック企業よろしく「積極的に苦労すること」を肯定するものではない。
テレビなんかでも「苦労」にスポットがあたったり、逆境や不遇な環境とかでも成功した、というお涙頂戴の話があるけれど、本質を見失ってはならない。
「苦労なんて有っても無くても、凄いことは凄い」というだけ。
だから凄くないエピソードがあったら、そこに苦労があっても大したことはないという視点を持てる。

とまぁ、その間にある所にいると思ってほしい。
全体集合から「ブラック企業精神」と「マジで楽!」とを除いたとこらへん。

でも一方で、楽をすること、それそのものは大切だとは思う。
仕事だと100点のものをたくさん時間をかけてつくるよりは、程々の時間で60点を量産した方が良い時が多い。
あと、楽をすることで他の楽しいことに時間を割けるなら結構なことだとも思う。
人から振られる嫌いな仕事はそこそこに、自分で見つけた楽しい仕事は掴んではなすな、と先輩社員の方が言っていた。

仕事の楽は、手を抜く、もっと言えばサボることである。
真面目(マジ)に取り組むのは良いことだが、仕事である以上、あまりのめり込まない方が良いときもある。
それを勘違いして、心を病む人が多いように感じる。
やらねば、と思って頑張ることと、自然と熱中することとの境界は、しっかり見定めてブレーキをかけることが得意な人は良い。
これができない人は他人に見てもらう方が悩まずに済むと思う。
ただ、医師よりも自分の変化に敏感なのは身近な人だ。
最終的な変化に気付くのは自分自身。その変化が病気によるものなのかを見定めるのが医師の仕事、だと思う。
仕事なんて病気で2ヶ月そこら休んでも全然大丈夫。辞められることを思えば会社側も傷病休暇をノーとは言えない。
医師の診断書だけあれば良い。
会社員なら病気で休んでも給料は満額出る。
休めよ社会人、壊れる前に。
もっと言えば、自分自身が働かなくて仕事が回り、良いよう進めることに全力を注ぐのが社会人の本質だと思う。
これを「いてもいなくてもどうでもいい人」ポジションと呼ぶらしい。

だがしかし、趣味なんかはその楽さだけを他人から与えられてもそこまで楽しくないかな?というか、楽しみたいときに楽さを与えられてもなぁ、という印象か。

もちろん、生活の中などでもう苦痛で仕方なくて藁にもすがる思いな人は、それを取り除く楽な方法は喉から手が出るほど欲しいとは思う。

僕だって楽にこの癌が無くなるならそれをするだろう。

ただ娯楽において、楽なことばかり求めるのは楽しくないな、と思っている。

ところで「タイパ」という言葉が実は密かに話題になっているらしい。
日本語ではこれを「能率」と呼ぶと思うんだけど、なんでか横文字にして、さらに短くするのが好きなようだ。
既にある言葉をなんで別の言葉にするのか、それこそタイパが悪いように思う。

タイパタイパタイパタイパイタ

タイパについて考えることは「何をどう頑張っても100%を超えられないよね」ということである。
果汁100%みたいな。
果汁2000%ジュースって書いてあったらとても胡散臭い。
だからタイパが良いといわれても、せいぜい100%ジュースか、野菜ジュースと同じに感じる。
これらはフルーツでも野菜でもなく、ただの清涼飲料水だ。

本来の時間ならば100%あったもののうち、短い時間でどれだけそれに近づけられるか、という話だと考えいる。
時間しか気にしないというのが、特徴のようだ。
限りある時間という労力を無駄に割かない、という意思のもとかもしれない。
無駄に、ね。
ところで、無駄な時間ってなんだ?
生きていることは必ずしも有意義か?死んだら何もかも無意味か?

時間をかけないようにすれば、当然、質も落ちるだろうけれど、それには目をつぶるらしい。
倍速再生とかその最たるものだろうて。

倍速再生で、音楽は聴こえますか?
では、なぜ動画だったらいいの?
じゃあ、動画の内容を文字起こしして速読できるようにしたらどう?その方が色んな人が得をしない?
それをしないのは、何故?

タイパを気にする時点ですでに100%は無理だと諦めているようなものだし、その上で、例えば、90%を99.9%にする労力というものをもう少し真面目に考えてみたほうが良い、と思う。

信頼度の問題に置き換えて、信頼度を0.9から0.999の1.11倍にするために並列システムを組むとことを考える。この場合にはもともとの信頼度0.9のシステムを3つ並列化させることが必要で、単純には機器コストが3倍になる。凄まじいコストだ。
でも得られるのは1.11倍。仮に信頼度を1.1倍まで諦めても、コストは2倍。
費用対効果という言葉はご存知だろうか?
自分が何人もいれば確かに成り立つのだけれど、大抵の場合は自分は一人しかいない。

それだったら、そもそもの100%だったものを、より上振れさせるほうが良いのではないか?と思う。
ようは、能率を上げるということ、あるいは、馬力を上げる、パワーを増すなどなど。
100の時間で100の熱量を使って100の成果があったとして、その倍の時間である200の時間はかかっても、200の熱量で220の成果を上げられるような考え方。
これは、能率ではなくて効率かなと思う。

ただし、そのための労力はやはり時間に比例ではなくて、少し割増で増えると思う。
エンジンを低速で回せばパワーはでるが、燃費は悪いみたいなものか。
それでも、まだまだリニアな増え方で収まると思う。そもそも、何倍もの仕事を得ようというものではないからだ。

そして、得られるものは220だ。1.1倍なのだ。かかった時間は増えただろうけれど、それ以外に何かを失ったわけではない。
こちらのほうが、本来の意味で「効率」が良いとは思わないだろうか?

これが僕の考える「楽」と「楽しむ」の違いだろう。

労力をかけないのではなくて、倍の労力をかけても倍以上のものを得ることだ。
残り時間が他の人より短いであろう僕はそう思う。

そのために必要なことは

「筋トレ」

嗚呼、素晴らしきかな我が人生。
気付き築き、そして傷ついてもまだその上へ行ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?