ディープフェイク、チープなリアル

タイトルに別に深い意味はないんですけど。

ニュースか何かのタイトルで「知り合いの顔をディープフェイクのシステムで合成して、エッチなものを作った」というものを見た。
最近は凄いなぁという感想と、やっていることはグラビア雑誌を使ったアイコラとかと全く同じだと気付いてしまって、技術は進歩せども人間の欲求は進歩しないものだなぁと思った。

エロは技術を発展させる(のか?)

というのは話の導入ですらなくて、生成AIにまつわることについて少し考えたりなどをした。
創作をする人ほど真摯に悩んでいないけれど、どうやらAIに依存してしまう人もいるらしい。
それくらい便利だということだと思う。

こういうものは、「こんな感じ」を伝えると、「遠からず近からず」という「だいたい合ってる」みたいなものが出てくるらしい。
実は、ほとんど使ったことがないのであまり詳しくない。

これが創作をする人のどんな壁になるかというと、産みの苦しみにいる最中に「こんな感じ」のアンサーバックが簡単に出てきてきまうところにあるのだという。

ところで、問題解決というか、悩んでいるときに一番楽しい瞬間が「閃く」ときだと思う。
というような話を最近小説でも見た。

じっくりコツコツと何かを作り上げたりするものとは違い、傍から見るとうんうんと頭を悩ませているだけだから何もしていないように見える。
ただ解決するのは一瞬。

そう、一瞬。

なので、創作をする人の一番の喜びみたいなものも、もしかすると奪ってしまっているのかもしれない。

楽しみを抜かれた創作は、ただの仕事だろうか。
AIが作った骨子に肉をつけるだけの作業。
単純労働を人が行い、創作のメインはAIが。

もし、それがいつもより売れてしまったら?

そう考えると、少し怖いかもしれない。
売ろうと思わなければ、そうはならないかもしれない。
しかしそれでは商売にならない。

自動化が進んで、人はより創造的な仕事だけをするようになるといわれていたが、実際は逆になりつつある。
マトリクスのようだ。

人はAIの食料程度の価値になってしまうのだろうか。
マトリクスでは、人は電池代わりだった。

単純労働を機械が持ち回ると思っていたら、人の脳を模したニューラルネットワークは人を凌駕してしまった。
中身がどうなっているかはさておき、結果だけをアウトプットすることはシステム的に非常に簡単になった。

過去に「人工知能は人を超えるか?」(※リンクはアフィリエイトです)という本を読んだことがあるけれど、まぁ簡単に超えてしまうだろうな、という緩い予感がある。

そもそもハードウェア的には絶対に勝てない。
例えば速度や記憶容量。

だから、これからの人の仕事は「問う」ことにあると思う。
まだ、AIには「人にとって価値あるものは何か?」とか、問題を見つけることはまだできない。
あくまでできるのは人の脳みそ的に、システマチックに出てくる解法や緩いつながりだと思う。

それでも、人の作りしモノであるならば、それは人のために在らねばならない。
これが工学のできること。

そしてAIの価値を問うのは、人の仕事であるべきだと思う。

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