マガジンのカバー画像

Beyond A Course in Miracles

29
「神の教師を生きる」「非二元を体現する」をテーマに、純粋な非二元の霊性の道を歩んでいるコース学習者やノンデュアリストに向けたコラム記事を集めたものです。
運営しているクリエイター

記事一覧

いまここにただ在る

すべての考えを赦す、すべての考えを愛すすべてが考え(想念)である。 内側にあるものだけで…

私たちが目指している「目覚め」「真の幸せ」とは

自我からの脱却、苦しみからの脱却自我が愛おしく愛すべきものとしてみえるならば、もはやそれ…

思考を止めるワークについて

思考はいけないものではない「思考を止める」という言葉を、最近ではよく耳にします。 そのこ…

私たちはひとつ=私はいない

玉ねぎの薄皮を一枚一枚剥がしていくようにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実…

「ネガティブ」も「ポジティブ」も一緒

二元性を超える「今、幸せになりましょう」 「今、幸せを感じましょう」 純粋な非二元の道、…

ラマナマハルシが「自己探究(self-inquiry)」と呼んでいたもの

私とはだれか?神とはなにか?「悟り」と言うとき、それは「達観する」「到達する」というイ…

覚者は「幸せ」についてどのようにみているのでしょう?

幸せとは「苦しみの不在」「苦しみの欠如」である覚者たる者、あるいは、目覚めゆく者には、「私」という感覚がないか、そういう感覚がほとんどないと言うことができます。 そして、彼らの特徴は、苦しみがない、ということだといえます。 もし仮に「苦しみ」があったとして、それを経験している「私」というものがないならば、そこに「苦しみ」はあり得るのでしょうか。 つまり、彼らにとっては「私」もいなければ、「苦しみ」という概念もないわけです。 それだけではありません。 「苦しみ」という

すべてを愛せるようになるまで

この学びが終わるときこの学びが終わるときとは、それはこの身体(肉体)を横たえるときだとい…

あるがままを愛しなさい

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、この世界に居る私たちのことを「子供」「幼子」…

コースをいくら知的に理解していったとしても、それがあなたを目覚めへと導くわけでは…

普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験は可能であるばかりか必要である私たちがコース(奇跡…

ここから先は、言葉はあまり意味をなさなくなる

聖霊にただ委ねればいいというものではない「聖霊に委ねる」「聖霊に明け渡す」と言うとき、 …

500

神聖さに憧れるコースティーチャーやコース学習者たちへの提言

正しさ、真理、神聖さをこの世界に持ち込むなら、もはやそれは虚偽ですこの世界の中で「これが…

500

あなたはいつまで無知なままでいるつもりですか?

自分で自分を無知な状態にさせているこの世界のものすべては必ず、壊れ、そして移ろい変わりゆ…

悟りとは?悟りを開くとは?

「悟り」とは「リアリティ/現実」のこと悟りとは?悟りを開くとは? と言うとき、 それがいったいどういうものなのかよくわからないというのが、私たちの正直なところだといえましょう。 そこで、「悟り」という言葉を、「リアリティ/現実」という言葉に置き換えると分かりやすかもしれません。 ちなみに、その「リアリティ/現実」とは、この世界のことではなく、この世界とは全く関係なく実在する真実のことを言います。 悟り(リアリティ/現実)とは、いまここにすでにあるものです。 それは