覚者は「幸せ」についてどのようにみているのでしょう?
幸せとは「苦しみの不在」「苦しみの欠如」である覚者たる者、あるいは、目覚めゆく者には、「私」という感覚がないか、そういう感覚がほとんどないと言うことができます。
そして、彼らの特徴は、苦しみがない、ということだといえます。
もし仮に「苦しみ」があったとして、それを経験している「私」というものがないならば、そこに「苦しみ」はあり得るのでしょうか。
つまり、彼らにとっては「私」もいなければ、「苦しみ」という概念もないわけです。
それだけではありません。
「苦しみ」という