見出し画像

昭和を意識した令和版の子育てを目指す。

春休み中、子ども3人を連れ、母の暮らす鹿児島へ遊びに行ったときの話。母の不在時、西郷さん像が見下ろす公園へ行き、デパ地下で買ったお弁当を食べた。水遊びができる大きな噴水と池があり、食後、はじかれたように子どもらが遊び始めたのを、私はぼんやりと眺めていた。

前回までのあらすじみたいに書いてみる。

ぼんやりしていると、5、6歳の女の子が話しかけてきた。

「何してるの?」

「え?あぁ、あそことあそこにいる男の子と、そこにいる女の子を連れて、遊びにきたんだよ」

少し離れたところで、じゃぶじゃぶ池を歩く長男と次男と、少し遅れてズボンのすそを捲し上げようとしている長女を指さして、私はそう答えた。

「ふーん、あのメガネの子がお兄ちゃん?いくつ?」

「そうだよ、今小学3年生で、もうすぐ4年生だよ」

「私のお姉ちゃんは、今2年生」

「そうなんだ、あなたはいくつなの?」

「もうすぐ1年生」

「へぇ、そうなんだ。今日は誰と来たの?」

「ママとお姉ちゃんと弟、あそこにいるよ。緑のズボン履いているのがママ」

女の子が指さした先には、おしゃれなママたちが6人くらいで円陣を組んで、レジャーシートの上でおしゃべりに花を咲かせているのが見えた。
緑のズボンを履いている女性は、こちらに背を向けていて顔は見えない。
暑くも寒くもない、日差しもきつくない、外で過ごすには快適な午後だった。

女の子とぽつぽつしゃべりながら、ママ集団を見ていたら、少し解せないことがあった。

ママ集団より明らかに若い、保育士さんのような雰囲気の女性が一人、おそらくこの女の子の姉と弟と思われる子ども2人と走り回ったり、抱っこしたり、文字通り体を張って遊んでいた。
ママ集団のおしゃべりに加わる様子はない。

そして、こちらをたまにちらっと見た。私とおしゃべりしている女の子を気にしているのは明らかだった。

もしかしたら、子ども大好きでサービス精神旺盛なママ友なのかもしれないし、女の子のママに頼まれて一緒に来た妹だったりするのかもしれない…。

いや、違うな…。腑に落ちない。
あの女性はママ集団の一員ではなく、雇われて一緒に公園に来たシッターさんなのではないかという仮説が自分の中に浮上した。むしろ、そうであってほしいと願った。もし私が彼女の立場で、ママ集団の一員だとしたら、帰宅後泣く。私だっておしゃべりしたかったのに。私はシッターじゃないぞ、と。

帰るまで私のそばにいた女の子に「あの女の人はだあれ?」と聞いてみたかったが、なんとなく聞けないまま、そして、女の子のママとは一度も目が合わないままだった。

なので、シッター風女性の正体はわからないままなのだが、なんとも言えないモヤモヤが、私の中に残った。

母親たちの井戸端会議の周りで子どもたちが遊ぶ状況というのは、今の私の近所でも見るし、自分の子どもの頃にもよくあった光景だったように思う。母親たちはおしゃべりに夢中になりつつも、子どもたちの様子を時々気にしたり、声をかけたりしながら。

だけど、あの女の子のママはおそらく1時間近く、「もう帰るね!」と女の子が言うまで、あまりにも我が子に無関心なように思えた。
少なくとも、見ず知らずのおばさんと一緒にいることに、ちょっとは警戒してほしいとさえ思った。

ちなみに、公園でママ友たちとおしゃべりするためにシッターさんを雇う、ということに物申したいわけではない。シッターさんなのかどうかは完全に想像だが、核家族で、近所との関係も希薄となると、どうしても外注サービスに頼らざるを得ないこともあると思う。
私も、夫婦で元同僚の結婚式に参加したくて、悩んだ末に、2歳の長男を、見知らぬ土地の一時保育所に預けたことがある。

そうやって、遠くの親戚より近くの他人、近くの他人よりも外注サービス、みたいになっていく風潮に、少しばかり寂しさを覚えつつも、仕方ないよね、とも思う。時代は変わっている。

だけど、それでも。
どんなに子育てを取り巻く環境が変化しようとも、どれだけ便利なものに頼ろうとも、変えたくないものは、子どもへの温かいまなざしだ。

自分の子も、よその子も、分け隔てなく見守ったり、危ない時は注意したりするのが当たり前だった、あの昭和の子育てを、令和の時代によみがえらせて、うまく溶け込ませたい。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

スキとコメントが何よりの励みです!