カチンときて、価値観を知る。
今朝、隣接する6地域合同の主任児童委員会があり、ある年配女性から、上記のような意見が挙がった。
私は、半年前から地域の主任児童委員となり、児童福祉の座学はさておき、実践で、主にこどもの居場所づくりやっていきたいと張り切って(いるとメンバーに疎ましく思われそうなのであまり前面に出しすぎないように)活動している。
今朝参加した会議で、初めてお会いした他地域の方が、
「今どきの小学生は、言っていいことと悪いことがわかってない。
なのに、スマホ持って、SNSとかやって、大丈夫なのか。
学校ではどう指導しているのか、知りたい」
という問題提起をされていて、
私は黙っていられなくて、こう言った。
「小学生の子どもがいるんですけど、お友達とのコミュニケーションを学ぶために学校に行っていると思ってます。それにそういう教育を学校だけに期待する親ばかりじゃないと思うんですが・・・」
反射的に口走ったけど、オブラートにくるもうと頑張った気はする。
でも、自信がない。
もしかしたら、尖った口調だったかもしれない。
(わが子はスマホはまだ持っていない)
…なんでこんなにカチンときたのか。
心の中では、荒々しい本音の嵐が吹き荒れていた。
「小学生をひとくくりにすんな!」
「私だって子どもを取り巻く環境は悩んでんだよ」
「家での関わりの方が大事だと思って、私だって必死にやってんだよ」
「学校に丸投げする問題じゃねぇ!」
私はどうやら、「私だって悩みながらも頑張ってる」って言いたかったんだね…。
それに、「子どもにはできない」「子どもはわかってない」なんて見くびらないでほしかった。子どもはわかっているよ!子どもにしかわからないことだってあるよ!!
ちょっと冷静になって、
「学校から、“相手の立場に立って、お話ししましょう”みたいな道徳的なプリントをたまにもらってくるんですけど、そういうのをまとめて、共有しましょうか?」
なんて言ってみたけど、需要はないみたいだった。笑
いろんな子ども、いろんな親がいて、いろんな悩みがあるだろうけど、とにかく温かいつながりのある地域で、誰もが安心して自分を発揮できる社会を叶えたい。
そのために、たとえ微力でも自分ができることは何だろう、とずっと考えている。
「お友だちの好きなところをことばにしてみよう」みたいなイベントをそのうち公民館で開催してみたい、と最近思いついた。
個人としてでも、民生委員としてでも、どちらでもいいのだけど。
性善説を信じる、地域のおせっかいおばちゃんを目指している私。
嘆くのは、やれることやり尽くしてからだ!
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