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娘の命名で候補に挙げた名前は、心の叫びだったかもしれない話。

今、3歳半になる娘がお腹にいたとき、女の子かもしれないとわかってから、「有里子ゆりこ」という名前を候補に挙げていた。

長男と次男がわりとシワシワネームなので、娘もいくらか古風にしたい思いもあり。笑

しかし、当時5歳だった長男が、
「イヤだ、まみむめもから始まる名前がいい」
と言って聞かず、彼が名付け親となり、最終的に、マ行から始まる、まるっこい名前になった。

「有里子」という名前にしたかった理由。
ここに私が込めた想いは、

「あなたには、ふるさとがあるからね。
心配しないでどこでも行っていいし、帰ってきたくなれば、ここで待ってるからね。好きなように生きてね」

そんな気持ちからだった。

夫にその話をしたかどうかは、記憶にない。
「絶対ゆりやんって言われるよ」とは言われたな。笑

冷静になってみたら、重い理由だ。
命名を長男に託して、よかった。

なぜか今日ふと、長女を自転車の前に乗せて漕ぎながら、小さなおかっぱ頭を後ろから眺めていたら、そのことを思い出した。

私がそう言って欲しかったんかなぁ、なんて考えた。

父とのお見合い結婚で、30歳の時に鹿児島から北海道へ移り住んだ母。

私が19歳の時に、両親は別居し、
私が22歳の時に、母は年老いた自分の母(私の祖母)を案じ、兄と私を残して、鹿児島に戻った。

母は、祖母が亡くなったら北海道に戻ると言っていたけど、8年前に亡くなったあとも戻ることなく鹿児島にいるので、すでに鹿児島生活は20年近くになる。

私は25歳の時に北海道を出て、それから関東、関西と住んでいるので、帰省する際は、父しかいない。

しかもそこは、自分が住んでいた家ではない、単身者用の住居だ。

なので、子どもを産んでからは、なかなか大変で、法事と帰省、合計4回帰ったのみ。
昨年の夏が最後だった。

帰省の際は、母にも毎回鹿児島から来てもらっていた。家事をする大人がもう1人いないと大変だったから。

そのスケジュールを合わせたり、母の為に航空券の手配をしたりするのも、年々億劫になり、

「なんでこんなことしなきゃならないの」
「でもみんなで会えるの嬉しいな」
「父母はまた喧嘩しなきゃいいけど」

こんなワクワクと憂鬱をごちゃ混ぜにしながらも会える日を待ちわび、鹿児島ー伊丹ー新千歳の航空券を持つ母と伊丹空港で待ち合わせて、帰省していた。

今年の5月に、父は北海道から兄のいる愛知へ移住したので、父が孤独死してないか心配しなくて良くなったことは、本当にありがたい。

しかし、「北海道に里帰り」する機会は、もうないんだな、と思うと、寂しさがないわけじゃない。

と同時に、私の故郷を奪ったのは、母の身勝手さだ、という、恨みがましい気持ちを母に対して抱いていることにも気づく。

もしも、母が北海道に帰っていたとしても、父とは暮らせていなかっただろう。
だから、仕方ない、どうせそれぞれ一人暮らしなら、好きな場所で暮らしなよ(にしても北と南ってギャグかよ)

という諦めの気持ちもあるのだが。

それでも、母に対しては、お門違いかもしれないが、同じ女性として、同じ「母親」として、厳しい目を向けてしまっている自覚があるのだった。
父と暮らしたくない気持ちは、嫌というほど理解できるのに。

私には帰る場所がないから、より「居場所」を求める傾向があるのかもしれない。

また、超大袈裟な表現をすると、
異文化間で揉まれてきたんだよな、という経験。

それを必ず活かしたい。
人と人を繋ぎたい。そうして、みんなで幸せになりたい。

自分にミッションを課して、奮い立たせていくことが、自分を癒す道だと信じるしかないのだった。

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