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親に頼らなくなった寂しさを抱えていたけれど。

ママ〜!いっしょに暮らしたいよ〜

東京で長男を出産した際、鹿児島から母が1ヶ月間手伝いに来てくれた。

ちなみに、父と母は不仲で別居しており、当時、父は私の故郷である北海道に、母は出戻って鹿児島に住んでいた。なので、里帰り出産という概念は私の中にはなかった。

家族関係のことに触れたこちらの記事も併せてお読みいただくと少しはイミフが解消するかもしれません⇓⇓⇓

長男の産後は、私自身の回復と、赤ちゃんのお世話に専念できるよう、母が全ての家事をこなしてくれた。

お産でお母さんに頼る人は、きっと誰もがそうであるように、この時ほど、母を頼もしく尊敬のまなざしで見つめた時期はないかもしれない、というくらい、心身ともに完全に寄りかかっていた。

母が帰る日、心細くて、私はこう言った記憶がある。

ママ帰らないで〜いっしょに暮らしたいよ〜

31歳でこれでした。

そんなふうに思っていた私が、そこから3年おきに次男、長女、と産み、その都度、母に1ヶ月ほど来てもらって、長男、次男の産後は「帰らないで〜」と思っていたのに、
長女の産後は、「あぁ、もう、長くいてもらいすぎた。ちょっとしんどいな」と思うようになっていた。

すぐに会える距離なら、1か月間同じ屋根の下で暮らす必要はなく、日帰りで行き来できるので、ここまで思うことはないのかもしれない。

子どもを1人産むたびに、さらに成長していくたびに、子どもたちと私のペースが作られていき、また、私と夫のルールのようなものが出来上がっていったことで、私と母の関係性は、少しずつ変わっていってしまったように思う。

長女のときは、私が切迫早産で出産が早まることが予想されたので、母に早めにきてもらっていたことや(結局予定日を2日過ぎた。笑)、
コロナがちょうど流行り出した時期で、
大移動も不安で、鹿児島に帰る日を少し延期したこともあり、40日間ほど一緒に過ごした。

関係性の変化と、長すぎた滞在により、以下のストレスが発生した。

  • 当時5歳と2歳の息子2人を70過ぎの母が見るのは、気力・体力的にきつそうで、ついに母はヒステリーを起こして家を飛び出した。コロナで休園したので、かなり大変だったとは思うが、失望してしまった。

  • 母は兄と私を育てているので、男の子2人の激しいケンカに免疫がなく、私以上にイライラして、特に長男をとてもきつく叱った。嫌だった。

  • 私が授乳で寝不足になるので朝7:45頃起きていたのだが、旦那さんが早く起きて出勤するのに起きないのかと、私をよく起こしにきた。母の立場もわかるが、それにはとてもうんざりした。

  • 母も年齢的なモノか、思い込みもあるのか「あんたの旦那さんが私を迷惑がっているような感じがする、私は帰った方がいい」というようなことを言うようになった。気が滅入った。

  • 子どもたちが「ばぁばのごはんイヤ、ママのごはんが食べたい」と言い始め、気まずかった。

  • 母が手を滑らせて、2回ほどお皿を割り、イラっとした。

そんなこんなで、産後もゆっくりはしていられず、10ヶ月後、坐骨神経痛で夜中にのたうち回ることとなる・・・産後、しばらく横になって休むことは本当に重要だ・・・

このときのことを思い出すとしんどくて、
長期で、夫のいるときに母に来てもらうのはストレスだ、ということを思うようになり、それまでは、「遊びに来てよ」「手伝いに来てほしい」と言っていた私だが、何も言わなくなった。

また、この数年で私が育児、夫婦関係、生き方そのものに悩んで、自分で解決しようと悩み、行動すればするほど、私は母に対して、

「あの度を超えた心配症は夫婦不仲だったせいではないのか」
「どうして両親はあんなふうにしかできなかったのか」

など、母への今更どうしようもない不満が膨らんでいった。
(こんなとき、話の通じない父よりも、話が通じる母への風当たりが強くなってしまう)

さらに、私は母を超えてしまったんじゃないか、という、いくらか思い上がった感情も芽生え始めていた。

そうして、我が家に来てもらう機会がずっとなかったのだが、
今回、夫が3泊4日の出張があったのと、母もそろそろ孫たちにも会いたいという感じのことを言っていたので、来てもらった。

最後に会ったのは1年半前の北海道で、我が家に泊まりに来たのは、3年ぶりだった。

正直、もう、母は頼る存在ではないけれど、「頼るふりだけはしなきゃ」と思っていて、たった2,3日の滞在中にまた母にモヤモヤしたらどうしようと不安だった。

しかし、実際は、この土曜日には、年長次男と年少長女の参観・懇談があり、母にも来てもらえたおかげで、子どもが「誰も保護者が見ていない」という状況にならないで済んだし、

帰る間際まで、掃除の行き届かない我が家の掃除をやってくれた。

おかげで、私も子どもたちもやる気になって、窓や床などの拭き掃除を頑張れた。

今日、母は帰ってしまった(父と兄のいる愛知へ向かった)が、
来る前のモヤモヤは杞憂に終わり、
来てもらえてよかった、という感謝だけが残っている。

長男が涙ぐんでいたおかげで、私はこらえられた。笑

そして、70代半ばに差し掛かる母は、少し忘れっぽくなり、同じ質問を何度もしてくるようになっていた。ちょっとショック。
また、文章を読んで理解する力なども少し衰えているように感じた。
「知ちゃん、これどういうことだろう、読んで」などというようになった。

会わないでいる間、「母に頼らなくなって、寂しい」と思っていたのだが、
まだまだ、頼れるところは頼りたいし、
母にとって大変なことがあれば、私が支えたいと、初めて思った。

母と私の関係性は、新しいステージに移行したのかなと感じている。

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