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「学習しない」ことの良さを感じた日。

本日21時すぎに、帰省先から帰ってきた。
散らかった家でウンザリだけど、ホッとした。

「怠け倒すことはできないし、夫に気を遣うこともあるけど、私が私らしく生活できる場所は、やっぱりここなんだろうな」

そんな風にも思った。

昨日の夜、父親に対して、不気味で気持ち悪いと思ったことが大きいかもしれない。笑

にぃに(私の兄)と一緒に寝ると言った次男に対して、「じぃじといっしょに寝ようね」と呼び戻し、父は、私の次男を、無理矢理寝かしつけようとしていた。

次男が「本当はにぃにと…」と何回か言いかけるのだが、
「そうでしょう、じぃじと寝たかったよね」
と満足気に言って、トントンする手を止めない。

自分に不都合な情報、想定外の意見などが耳に届かないようになっているな、と今回の滞在で何度も感じたが、これは歳のせいだけではなかろう…

襖一枚隔てた隣の部屋で、長女を寝かしつけようとしていた私は、たまらず、

「お父さん、次男の言う通りにさせてあげてよ」
と言ったところ、
不服そうに「え?何?」と言う父。

次男の本音を聞いた途端、
「じゃあ好きにせぇ。
さようなら〜はい、さようなら!」
と、次男に対して言ったのだった。

なんと大人げない、感情的で、支配的で、ストーカーみたいな…!
この人が家族を持てたのは、本当に奇跡のようなことだとすら思える。

「やめてよ!そんな態度だったら、もうじぃじが恐怖になるわ」

「どうせ戻ってくるさ」

そんなやりとりをして、
あぁもうめっちゃ気持ち悪い。早く兄に言いたい。と思いながら、現実逃避のように眠った。

夜中の1時頃、
何かに追いかけられていて、とても怖い!と思ったところで、目が覚めた。

身体の上に何か重いものがのしかかったような感覚もある。
金縛りまではいかないが、それに近いような、身動きを取るのが厳しい状況。

夢か現か、よくわからないのだが、私が背を向けている襖の向こうにいる父の方から、朱色のオーラが放たれていて、私の身体の重しは、父のせいだ、という感覚だけがはっきりとわかっている。

そうしているうちに、父が大きな咳払いをし、トイレに立ち、その後ベランダへタバコを吸いに出たようだった。

その一連の流れを背中と感覚で受けながら、なんだかとても緊張して、少しばかりの恐怖も感じた。

私の父は…私の父に対する印象は…やっぱりちょっと変わっているな。

だから今朝、夫が車で迎えにきて、そこから夫側の岐阜の親戚を訪ねながら帰る旅が、疲れたけれども、とてもありがたかった。

また数ヶ月したら、私は、父は元気かな、遊びに行きたいなと思うんだろうか。

「もう会うのは控えよう」と思うことだってできる。

今まで、札幌に帰ったときも、ウンザリする出来事があった。もう知らない、2度と会うもんかと思ったことも。

でもそれでも懲りずに、父と我が子たちの交流の時間を設けようとしてきた私。

どうも私の脳は、学びを生かすことを優先しないこともあるようだ。

帰宅後、長男と次男が
「じぃじとお別れして寂しいな」などと言えば、なおさらだ。

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