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「今の子どもたちは災害レベルの時代を生きている」という言葉を聞いて。

「がんばって学校に行っている子どもたちに、これ以上頑張れとか、明日は早起きせぇよ、なんて、絶対に言わないでください」

昨日、民生委員の研修で、
「子どもたちの自尊感情を育てる寄り添いとは。
~コロナ禍で傷つき、疲弊している今の子どもたち~」
というテーマの講義を受けた。

子どもの育成や、学校に行きにくい子どもたちの支援・対応に関心のある人を対象としており、非常に興味があって、ずっと楽しみにしていた。

講師の方は、元小学校の先生で、現在は大学で研究しながら、スクールカウンセラー兼こどもの居場所づくりをされている方だ。眩しい。

これまで公的な場所で「コロナ禍で傷つき」という表現を聞くことはあまりなかったように思う。

以前受けた別の「不登校」に関する講義では、
「不登校の子は、コロナ禍で増えたけれど、コロナ前から増えてはいる」という話を聞いたものの、考えられる原因についてまで言及はなかった。

ただ、個人的な思いとして、
園児を含めた我が子たちを見ていて、マスク生活や黙食、大声を出さないよう、濃厚接触しないよう、目を光らされていた3年間で、多くの制限のなか、子どもたちが狭い箱に閉じ込められているような気がしていた。

非常に胸が痛く、この3年間で得られない経験、失われたものについて、親として憂いてしまうことが多かった。

そのため、ずっと学校の現場を見ている方が、ただのグラフや数値の提示ではない、どのような見解を持っているのか、どんな深い考察を聞かせてもらえるのか、と期待していた。

講座は2時間、非常に濃い内容で、期待以上だった。

1980年代までの、社会の目標、教育の目標が明確だった時代からの変化や、
このコロナ禍でゲームにのめりこむ子、人との関わりが苦手になった子が増えたこと、
子どもにとって、サードプレイスが必要なことなど、
多くの子どもたちとの関わりで感じ取ってこられたお話を熱量たっぷりに話してくださった。

特に印象的だったのが、

3年間のコロナ禍で感染者数や死亡者等の放送を聞き続け、
今度はウクライナやパレスチナの戦争の報道、
そして、今年はじめの能登半島地震や羽田空港での事故の映像を目にして、
(さらに奈良の子どもたちは安倍さんの事件もあり…)

今の子どもたちは、災害レベルの時代を生きています。

もう、朝起きるだけでも大変なことです。
なので、そういった子どもたちに対して、「もっと頑張れ」などは決して言わないでください。労いの言葉をかけてあげてください。
学校に行くというハードルの高いところに目を向けず、
朝起きれたね、朝ごはん食べられたね、というところからどんどん褒めてあげてください。
どの子が不登校になってもおかしくない時代です。

聞きながら目頭が熱くなり、
なぜか、自分が励まされたような、背中をさすってもらったような、苦しくも、温かい気持ちになった。

また、

居場所には、時間と場所と人が必要です。
でも、私は、居場所は「人」だと思っています。
みなさん、子どもたちの居場所を作れる人になってください

この言葉を聞き、すかさず
「サードプレイスの人になりたい」と資料にメモをした。

この講義を年配の方の多い民生委員だけのために、もったいないな、保護者や学校の先生たちと一緒に聞きたいなと思った。

実際、近所で不登校や行き渋りの子を数人知っていて、
あるママは、学校の在り方に疑問を持っているので、行けなくても、それは仕方ない、行ける時は一緒に行く、という対応をしている。

ある別のママは、学力至上主義みたいなところがあるせいなのか、
「うちの子にはがっかりだ、まさか学校に行きたくないと言い出すとは」という言い方をして、朝から叱り飛ばして学校に送っていると聞かせてもらった。

ただ、その子どもたちを見ていたら、面白いことが大好きで、目の輝く瞬間を見たことがあるので、とにかく、学校はさておき、何が楽しい?好きなことはなんなの?という関心を持って、地域のおばさんとして、彼らに関わってみたい願望がある。

これは、我が子にはなかなかできなかったりする。きっと私も我が子が学校に行かないと言い出したら、穏やかではいられないだろう…。

他人だからできることがあるのではないか、と思う。

ただ、最近思うのは、学校に行きたくない、行けない理由もみんなそれぞれで、同じ理由や同じ程度の子は1人もいなくて、

学校への足取りの重さは、繊細な心や高い感受性、またなんらかのアンテナが鋭敏であることを物語っていて、それは、可能性であるという気がしている。「不登校」なんて言葉でまとめたくないとも思う。

研修のあと、私はその足で地域の公民館へ向かった。

2024年度、子どもの居場所作りを、小さくでも始めてみたかった気持ちがより大きくなり、場所を借りる際にはお世話になるので、それらに関する相談をしてみた。普段から関わりのある職員さんで、雑談みたいになってしまったのだが。

ただ、民生委員としてやるのか、個人的にやるのか、そのあたりが実は悩ましい。地域の役で、妙な対立やしがらみがあることを、知ってしまった。誰を見て、誰のための活動なんだ、と思うのだが・・・。

周りの人を巻き込む、ということも、今後自分が身に付けたいチカラだなと思う。

明日は、ずっと行ってみたかった「夢みる小学校」という自主上映の映画に行く予定だ。

きっと私は今、今の自分に必要な情報を取りに行っているんだろうなという感覚がある。


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