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陶芸家Keicondoさん 決めつけることなく自由でいい。僕が考える器のかたち

「作風は常に流動的で、ちょっとずつ進化している」という陶芸家のKeicondoさん。日々アップデートされる器づくりについて聞きました。

 父が陶芸家で、陶芸では食べていけないイメージがあったんで、陶芸家にはなりたくない気持ちが強かったんです。いわゆる普通のうちに憧れてました。大学卒業後“新卒”っていうブランドを使わなきゃもったいないと、一応就職したんです。当時はなめてましたし、入ってみたら「こんなんで月20万近くお金が入るんだ」と思って。元々貧乏暮らしをしていて無駄遣いするタイプじゃなかったから、だったらちょっと切り詰めた生活でも好きなことをやった方が、いいんじゃないかと。

 それで就職した次の春には窯業指導所に入ってました。卒業後は青年海外協力隊でボリビアへ。もともと海外に行きたい気持ちもあったし、協力隊で養うのは陶芸の技術より感性の部分だと思ってました。僕は語学勉強が嫌いだったんですけど、そこを乗り越えて、どう接すればコミュニケーションが取れるかっていうことを現地で覚えましたね。
 そこで人格というか、人間的な成長を感じました。帰国後すぐに独立2009年に日本へ帰ってきて翌年に独立。最初は自分の表現したいものを作っていたんですが、だんだん料理人に会うようになって「こういう器作れない?」って頼まれたのを作ってたら、どんどんバリエーションが増えて、使われる喜びを知って、これ楽しいなって。独立して5年たったころですね。表現の場だった陶芸が食器に特化するようになり、料理が映える器を意識するようになりました。
 それで、形がよりシンプルになっていったのは確かです。ただ色に関しては、自分が好みの色をずっと使っています。

Keicondoさんの作品。黄色が特徴的。オーバルプレート、カップ、マグなど。「南米の赤茶けた土の色が僕は好きだし、心が落ち着くような感じがします」

料理の映える器

 食器にも若干のはやり廃りがあります。今はフラットのプレートが結構ありますが、13年前はそんなになかったんですよ。僕がなぜプレートを最初にやろうと思ったかというと、海外に行ったときワンプレートで料理が出てきて食べるのが楽だったから。例えば前の日のご飯とか、買ってきた総菜を盛るだけでもいいなって。で、フラットのプレートを作ったんですが、当時は「お盆?」「何に使うの?」とか、「黄色は駄目よ」なんて言われたりで、全然売れなかった。
 でもそれが好きでやってたし、少しずつ売れるようになって何とか生活できるようになりました。ただ、僕が住む笠間だけでも500人、近くの益子を合わせたら1000人以上いる陶芸家の中で、同じことをやってたら埋もれちゃう。
 そうなると自分のオリジナルって何だろうって。たまたま黄色でやってる作家があまりいなかったとか、シンプルな器が料理にマッチしたとか、注目された理由は後から振り返ってみればそうかなって感じです。
 例えば料理人と話してて「この器って緑も赤も合うし、焼き色も映えるからオールマイティーに使えるよね」って言われて「へー、そうだったんだ」と。よく考えてみたら、器が土の色っぽいから、上に置く野菜とか素材が活きるイメージがあるなって。葉っぱ1枚、人参1個でもいいから置いてみると確かに映える。そうやって誰かに教えてもらって気付くことの方が多いです。だから、自分一人で成長するってまず無理ですよね。
 出会いとかつながりとか、新しい発見とかが、ちょっと試してみようという原動力になるので。あと、器を使ってもらってるレストランに行って、こういうふうに使われるんだと答え合わせ的なものを見ると、作ってよかったと思うし、こうすればもっといいのかもと全部が勉強になります。少しずつ日々成長し続けることができるし、そうじゃないといけないとも思っています。

 僕、陶芸を始めるとき「無理だったら違うことやればいい」って思ってたんです。作るのが好きだったから、鉄のアーティストのところでバイトしたり、木工もいいな、ガラスもいいなって、いろいろ考えながら、陶芸も飽きたらやめればいいと思ってた。けど、飽きてない。毎年毎年何かの発見と刺激があるんですよね。この黄色だって別に固執してない。飽きたら違う色をやろうかなとか、形も違うのやろうかな、明日からオブジェ作家になろうかなとか。別に自由でいいと思ってるんですよ。僕もだんだん教える立場になってきて、自由でいいんじゃない、そんな決めつけることないじゃんって他の人にも言う。でもずっとこれなんだ(笑)。それだけ、まだやれることがあるって思ってるんですよ。

プレート
笠間のアトリエにて。作品が所狭しと並ぶ

Keicondoさん(ケイ・コンドウ)
1981年、茨城県笠間市生まれ。茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)で陶芸を学ぶ。卒業後に、JICA海外協力隊に参加し、南米ボリビアで陶芸指導を行う。帰国後、28歳で独立。noma Kyotoや星野リゾートなど世界中のレストラン・ホテルで作品が採用されている。
●作品展 2023年11月25日~12月3日 FUURO(東京)、12月1日~10日 gallery,あるゐは(大阪)
●スタッフ募集! 陶芸に通じた仕事をしたい方。年齢不問。詳しくはKeicondoさんのインスタDMへ 

写真:松嶋愛



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