見出し画像

日本における砂糖と菓子の歴史 菓子の歴史を語るには砂糖の存在が欠かせません。砂糖と菓子の関わりを食文化史学者の江後迪子先生に聞きました。

 砂糖は古代インドが発祥の地。紀元前5世紀ごろにはすでに作られていたと考えられています。そこからペルシャ、エジプト、地中海沿岸、中国などに砂糖の製造法がもたらされました。
 日本へ砂糖が伝来したのは奈良時代だとされています。754(天平勝宝6)年に来日した中国(唐)の高僧鑑真の船の積み荷の目録に「蔗糖(しょとう=砂糖)」とあるのが、砂糖伝来の最初の記録です。756(天平勝宝8)年に光明皇后が東大寺に献納した薬60種の中には蔗糖も含まれていました。当時、砂糖は薬でもあったわけです。

 一方、菓子はどうかというと、本来、「菓子」とは「果物」や「木の実」のこと。果物を菓子と呼んでいました。そのような中、遣隋使や遣唐使を通じて、中国の菓子が日本へと伝わります。「唐菓子(とうがし)」または「からくだもの」といわれるそれらは、米粉や小麦粉を生地とし、さまざまな形にして油で揚げたもの。宮中や寺社で作られるようになりました。

日明貿易・南蛮貿易と砂糖

 鎌倉~室町時代になると、中国に留学した禅僧などが、喫茶の風習とともに「点心(てんじん)」を伝えました。羊羹や饅頭、麺類などです。やがて市中でも売られるようになりますが、砂糖はまだ高価な輸入品だったため、砂糖入りは「砂糖羊羹」「砂糖饅頭」などと呼んで区別していたようです。
 
 14世紀半ば、明朝が中国を統一。室町幕府3代将軍足利義満の時代に日明貿易(勘合貿易)が始まり、1405~1547年の間に17回、87隻の遣明船が派遣されました。日本からは鉱物や工芸品などを輸出し、明から銅銭や生糸、織物、書物などを主に輸入。同時に砂糖も取り引きされ、貿易港の堺には大量の砂糖が流通していたと見られます。そこから需要の多い京都などへと運ばれました。
 
 戦国時代の南蛮貿易では、ポルトガル船が長崎に砂糖を運んできます。とはいえ、これはヨーロッパ産ではなく、ポルトガル商人が中国で買い付けた砂糖です。
 やってきたキリスト教の宣教師や貿易商人たちによって、西洋文化も流入しました。カステラ、金平糖、有平糖、ボーロなどの「南蛮菓子」もその一つ。1569(永禄12)年、織田信長が宣教師ルイス・フロイスから金平糖を贈られた話は有名です。南蛮菓子の多くは貿易の拠点だった九州を中心に広まり、各地へと伝わっていきました。

室町時代の日明貿易の交通路。明から日本に砂糖も運ばれた

大量の砂糖を輸入

 江戸時代、幕府は鎖国政策をとって、貿易相手をオランダと中国(清)のみに制限します。長崎出島が唯一の貿易地となり、ここに中国産やインドネシア産の砂糖が大量に陸揚げされ、砂糖専用の蔵も設けられました。

 江戸時代中期の1697(元禄10)年に幕府直営の長崎会所が設立されると、以降、砂糖は会所を経て課税されてから、海路で大阪の問屋へと運ばれた後に、日本各地に流通しました。しかしこのような正規ルートに乗らない砂糖も相当量あったようです。船の荷役にあたる労働者が手当てとして受け取った砂糖、オランダ人や中国人から役人、遊女に贈られた砂糖など、長崎ではあちこちにかなりの砂糖が出回っていて、それが売買されていました。長崎の砂糖は、陸路で各地へ。砂糖が通り、菓子づくりが栄えた「長崎街道」(長崎~小倉)は、現在「シュガーロード」とも呼ばれています。

 享保年間(1716〜1736)、8代将軍徳川吉宗によってサトウキビの栽培と製糖が奨励され、全国各地に製糖業が広まりました。香川県や徳島県の「和三盆」は、そうした中で生まれた国産砂糖です。しかし、元々砂糖生産の適地でない日本で、全体の需要に見合うほどの供給量を国内で確保するのは難しく、海外からの輸入は続きました。

砂糖も菓子も庶民の元へ

 18 世紀後期になると、砂糖はだいぶ入手しやすくなり、菓子の製造技術も著しく向上しました。天保年間(1830〜1844)には都市部に限らず、農村などでも菓子店が開かれています。
 ところで中世末期から行われてきた行事に「嘉祥(かじょう」(あるいは嘉定、嘉通)があります。起源については諸説あり定かではないものの、6月16日に菓子を食べて厄除けと招福を願う行事です。徳川幕府では特に派手に行われ、江戸城の大広間に2万個を超える菓子を並べ、将軍が大名・旗本へ下賜しました。明治時代には廃れましたが、菓子の発展には大きく寄与してきた行事であったといえるでしょう。ちなみに全国和菓子協会は、昭和54(1979)年にこの日を「和菓子の日」と定めました。

『職人歌合画本』より。伴信友/1838年作。原本は1500年末頃に成立したとされる『七十一番職人歌合』。「さたうまんちう(砂糖饅頭) さいまんちう(菜饅頭) いつれもよくむして候」とある。室町時代には砂糖入りの甘い饅頭が京の市中で売られていた/国立国会図書館所蔵
『千代田之御表 六月十六日嘉祥ノ図』楊洲周延/1897年作。6月16日の嘉祥(嘉定)の日、江戸城では大名や旗本に大量の菓子が配られた/国立国会図書館所蔵

話:江後迪子さん(えご・みちこ)さん
食文化史学者。1934年神戸市生まれ。広島文教女子大学短期大学教授、別府大学短期大学部教授を経て95年よりフリーで活動。主な著書に『日本料理由来事典』(共著)『和菓子の楽しみ方』(共著)『隠居大名の江戸暮らし』『大名の暮らしと食』『信長のおもてなし 中世食べもの百科』『砂糖の日本史』など。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?