ビンテージマニアをうならすジーンズ!大戦モデルなど1940年代の縫製を当時のミシンを使って表現
ビンテージジーンズの製造を妥協なくとことん追求するニードルワークアーティスト小中儀明さんの工房を訪ねました。
大学生だった20歳のときに起業しました。お笑いコンビ・ダイアンのユースケはいとこなんですが、そのユースケと今の店長と僕の3人で、アメリカンカジュアルウェアを売る「FORTY NINERS」を始めたんです。ショッピングセンター内の2坪のテナントからスタートし、その後、実家でもあるここに店を構えました。
ビンテージやレプリカのジーンズを多く扱ってきたけれど、ビンテージとレプリカが同じかといえば、残念ながら全く違う。質の高いレプリカでも、ビンテージ好きを満足させる出来には程遠い。ならもう「俺がやったるわ!」と、自分で作り始めたわけです。
糸も生地もオリジナル
我々みたいなド変態のビンテージマニアになると、ボタンがずれていたり、ベルトループが歪んでいたりっていうのが熱いし、ヤバい。検品をかいくぐって出てきた激レア品なわけじゃないですか。で、そんなのが特に多く見られるのが、1942~46年のいわゆる「大戦モデル」。第二次世界大戦中は物資統制のためにディテールが簡素化され、厳しい状況下では整った縫製もできなかったんです。それが非常に面白くて、とにかく僕は、まずその大戦モデルを作ることのできるファクトリーが欲しいと思い、2013年、店の横に自社工場「CONNERSSEWING FACTORY(以下CSF)」を立ち上げました。
ここにあるミシンは全てビンテージです。当時の縫い方ができるのは当時のミシンだけ。しかもジーンズの部位ごとに異なる種類のミシンが必要。インスタグラムを活用して、この10年間で、国内外から約500台を集めました。修理やメンテナンスも自分で行っています。
縫い糸も日本のものではダメなんですよ。日本のものとアメリカのものでは太さが全然違う。我々はアメリカで紡いでいます。
生地についても研究しました。で、糸から作ってます。糸を作り、染料を作り、染め上がった糸を縦糸にして織る。これらは岡山で行っていて、オリジナルの生地は今、全部で8種類あるかな。
全工程を一人で行う
生地にパターンを引いて、手裁ちで切るところから始め、全工程を僕一人で一気にやります。アイロンもまち針も使いません。当時はそんなもの使っていないはずなので。1着仕上げるのにかかる時間は大体50分ぐらい。1日に8~10着仕上げます。分業にしないのは、クオリティーが保てないから。全ての縫い目、ディテールに表現の出し方があるので、それを人任せにすることはできないんです。
僕は今、40年代ものを中心に作ってますが、さかのぼってもっと古いものにも取り組んでいます。またCSF内の別工房では、志願してやって来たカオルが、僕と同じくニードルワーカーとして50年代のものをやはり一人で作っていて、さらにもう一つ、60年代ものを作る工房もあります。
CSFで作ったものは、自社ブランド「ONE PIECE OF ROCK」の製品として販売してます。オンラインショップもありますが、ただし、ジャケットとパンツに関しては、対面販売オンリーです。当日店頭にあるもののみ、しかも着る本人でないと買えません。めちゃくちゃストロングスタイルなんですよ(笑)。
だから、あるジーンズを重点的に作って売り出し日を告知すると、その日は朝から店の前に行列ができます。それだけを目当てに全国からお客さんがやって来る。普段は寂しい商店街ですけど、人が集まるんです。僕はこの街が好きだから、CSFをもっと大きくして、ゆくゆくは八日市がビンテージデニムの聖地になったらいいなと思いますね。
小中儀明さん(こなか・よしあき)
ニードルワークアーティスト。有限会社ヨークハウス代表。20歳でセレクトショップ「FORTY NINERS」を立ち上げ数多くのビンテージやレプリカジーンズを扱ってきた経験を活かし、2013年に自社工場「CONNERS SEWING FACTORY」を設立。研究を重ね、独学で1940年代以前の縫製方法を確立した。
FORTY NINERS
滋賀県東近江市八日市本町14-25
℡ 0748-23-4762 営 11:00~20:00 水曜
www.fortyniners.cc @fortyniners_official
写真提供=FORTY NINERS
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