ヒロアカNo.422『緑谷出久:ライジング』を読んで

初めましての方は初めまして。
Xやpixivでの友人はどうもです。初投稿でドキドキしている朱音といいます。

感想の前に、つまらない自分語りをさせていただきます。オタクのひとり言なので、飛ばしてもらっても構いません。読んで、一人でも共感してもらえると嬉しいです。
私は普段、ソシャゲのスクショや日頃の何気ない話をXで呟くだけのゾンビのような存在なのですが、時にどうしても長文を書きたくなることがあります。それが、『面白いものを見た瞬間』です。

特に、私は週刊少年ジャンプの漫画が大好きで、毎週のように読んでは「この気持ちを誰かにぶつけたい……!けれど、知人にジャンプ最新話まで追ってるファンがあまりにも少ない!!」というオタクあるあるな問題に悩まされてきました。(ワンピースなら好きな人は多いのですが)

今までは私も140字に留めて、時には2ツイートぐらいでその気持ちを押さえ込んできました。ツイートいくつもしてたらXのフォロワーさんにも申し訳ない気持ちもありますしお寿司。(フォロワーの大半がソシャゲ友達なので)
しかし、そんな私の抑圧された心を何度も何度もぶっ叩いて打ちのめして、ついには140字のカベを破壊して、ここに長文を書かせる作品があります。

それが、『僕のヒーローアカデミア』です。

堀越耕平先生が描いている本作は今まさにクライマックスのジャンプの看板漫画で、この記事を開いた方は全員ご存知かと思います。
まだ学生だった頃、ジャンプでヒロアカの第一話を見た時の衝撃は今も忘れられません。
今までのヒロアカについてここから語りだすと、おそらくとてつもなく長くなってしまうので、続きはいずれ書くとして、感想に移らせていただきます。


僕のヒーローアカデミア
No.422『緑谷出久:ライジング』


ヒロアカでタイトルが序盤に出ない回は神回というのはヒロアカ界隈では最早常識かと思いますが、今回もその類に漏れない回でした。

更には、ライジングですからね。
『ライジング』ですよ!!

ヒロアカファンなら『オリジン』に次いでその重みが伝わるであろうこの言葉は、ヒーローたちが決意し、成長する回に付けられる特別なものだと思っています。

記憶に新しいのは『轟焦凍:ライジング』です。
地獄と呼ばれ続けた轟家の因縁を焦凍や家族の思いで消火するという、ヒロアカの中でも長く描かれた因縁である荼毘との戦いの終幕を迎えた一話でした。

また、『爆豪勝己:ライジング』では、狂気じみたヒーロー性を持つデクにずっと畏怖のような嫌悪のような理解できない感情を抱いていた爆豪が、デクがピンチを迎えた時に、彼と同じように「体が勝手に動いて」彼を助けたことで、ヒーローとしての心情を知り、そしてデクのことを真の意味で理解する入り口に立ちました。


オリジン組がライジング回を迎える中、私の中にはずっと大きな疑問がありました。

「緑谷出久のライジング(成長)とは何なのか」


デクは、オールマイトに憧れたその日から、狂気ともいえるヒーロー性を心に秘めていました。
オリジン回は、彼のそのヒーローにふさわしい心がオールマイトを動かした、まさにデクがヒーローになる原点の日を描いたものでした。

しかし、彼の中で葛藤はあるものの、「目の前にいる人を助けたい」という心は変わることはありません。ヒーローとしての彼の心は、既に完成されていたと言ってもいいのです。それは、デクが作中で何人もの人から自分のヒーローだと思われていることからも明らかでしょう。


では、そんな彼にとってのライジングとは何なのか?


その答えは、3つあると私は考えました。


まず一つ目が、「最高のヒーローになること」です。
僕のヒーローアカデミアは、緑谷出久が最高のヒーローになるまでの物語として始まりました。

無個性だった少年。

ボロボロになりながらも誰かのために戦い続ける少年。

時には涙を流しながらも、泥まみれになっても、誰かを守るため戦い続ける少年。

そんな彼の蝶の羽ばたきのような小さな心が、願いが、何人もの人々を動かしました。そしてそれはまさに大きな、世界を動かしうる大風へと変化を遂げました。

何度倒れても、力を失っても、諦めない。

そんな彼は、まさに『最高のヒーロー』と呼ぶに相応しいものでしょう。
まさに、彼の大きな成長を描いていると言えます。



2つ目が、「敵も助ける真の善性」です。

ヒロアカでは、ヒーローとヴィランの問題は命題の一つでした。

環境の違いでヒーローになった者。
一方でヴィランになった者。

ヴィランとして世の中に害をなすことは決して許されることではありません。
しかし、彼らにも彼らの人生があるのではないか?
罪があるのは彼らだけなのか?
誰かが手を差し伸べられなかったのか?

ずっと語られてきた問題です。
作品が悪を悪として裁くだけではないのは、ヒロアカの魅力の一つだと私は思います。しかし、それと同時にその問題は解決するには難しいものだとも思います。悪を悪として裁くのが、一番簡単で、考えなくて済むからです。
実際、作中でも考えるのを止めた、または考えられない程の経験を積んでしまった人物がたくさん出てきます。

しかし、雄英生はそこで考えるのを止めませんでした。

分かり合えたはず。
もっと話し合えたはず。
もっと、もっと、もっとーー!!

そんな青臭く未熟な彼らの気持ちは、戦場において花開いていきました。

お茶子とトガの話がまさにそれを象徴しています。ヒーローとヴィランとして対峙している二人。お互いもうその立場から降りることはできない。

それでも、友達になりたい。
恋話がしたい。

もっと話をしたい。

そんなお茶子の気持ちが、トガの心を動かしました。ヴィランからは戻れなくても、それでも話を聞いてくれた貴女だけは大切だからーー、と。

そして、次はデクも答えを出そうとしています。
何度も、個性を失おうとも、死柄木弔の中にいる志村天狐を救うために立ち向かうその姿は、ヴィランも助かるべきではないか?という問いに答えを出そうとしているデクの姿は、ライジングに相応しいものでしょう。




そして、3つ目は

「個性がなくてもヒーローになる」です。


「個性がなくてもヒーローになれますか?」

ヒロアカ一話でデクが問いかけたこの言葉は、ヒロアカという物語の中で度々取り上げられる、作品の中の命題といえるものでした。

デクが負けそうになった時に、咄嗟に水の個性を使ってマスキュラーの気をそらした洸汰くん。

死穢八斎會編で、個性消失弾を撃たれながらもエリちゃんを守るために戦い続けたミリオ。

デクの元へ、死柄木弔の元へ向かおうとするAFOを身を挺して、命を懸けて止めようとしたオールマイト。

そして、ボロボロになった小さなヒーローに救いの手を差し伸べることができた避難所の人々。

ヒロアカという作品の中には「個性なき戦い」も描かれてきました。


そして、今まさに。
OFAを、個性を無くしてもなお立ち上がる少年。

緑谷出久。

彼が、自身が出した問いに自分なりの答えを行動で示したのがこの回なのではないでしょうか。



個性がなくても。

特別な力がなくても。

助けたいという思いがあれば、人はヒーローになれるのだと。


それに対して人々の心も大きく動かされます。
緑谷出久を知っている者が。デクを知っている者が。そして、世界中の人たちが。

今最後の戦いに向かおうとするヒーローたちに呼びかけるのです。

「頑張れ」と。

個人的にはロディとデクママの姿があったのが激熱でしたね。映画は3作目が一番好きだったので、ロディが今のデクを見ていてくれているというのは嬉しさがこみ上げてきます。
そして、デクママはずっとデクのことを心配し、時にはデクがこれ以上傷つかないためにヒーローを辞めさせようとすらしました。母からしたら心配なのは当たり前ですよ、あんなにボロッボロになって帰ってくるんですから。そんな母が、息子の頑張りに目を背けずに「頑張れ」と言えている。無個性でもヒーローになれるかと問いかけた幼い出久に「ごめんね」としか言えなかった母親からの親としての大きな成長を感じました。
たった数コマに語れるところが無限にあるヒロアカ、最高すぎないか。


そして、いよいよ死柄木との最後の戦いへと向かう出久。彼がどんな答えを出すのか、ヒロアカがどんな終わりを迎えるのか。
次週がとても楽しみです。

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