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暑くなってきた。

っというか暑い。

いよいよ7月を迎えようとしている。

7月と言えば夏の盛りを迎え、各地で色々な夏ならではの行事も催され始める頃。

花火大会に夏祭り…

京都の7月といえば祇園祭か。

コンチキチ~ン…

きっと今年は海外からの観光客の方もたくさん来られる事だろう。

良い事だ。

そして夏の盛りを迎える前の梅雨混じりのお天道様。

既に雲は厚みを増し、夏ならではのしつらえになっている。

気温も上り調子に上がっていき、30度を超える日も増えてきた。

湿度もぐんぐんと大気の中に存在感を刷り込み、いよいよ夏なんだなと湿度と温度が上がった部屋で、扇風機の風を浴びながらモワッと頭の中に夏の存在感が浮かび上がる。

そう、モワッと。

四季が分かれる日本。

不思議と使う言葉や比喩する表現も季節によって変わってくる。

自分だけかもしれないが、モワッとって言葉は暑い、うだるような湿気や蒸気を連想する言葉の一つなんじゃあないかなとも感じている。

なので夏にモワッとって言葉…

何だかピッタリな気がしません?

まぁ、私だけかもしれませんが…(^_^;)

言葉遣いや表現も季節によって、何となく変わるのであれば心なしか夏と冬の疲労感…

そぅ

疲れ方も何となく変わってくるような気がしてる。

冬の寒く、乾燥した空気の中で感じる疲労感と夏の暑く湿度MAXの中で感じる疲労感…。

前者は乾燥した空気感と冷えが体の疲労感とあいまって、固くまるで鍛え上げた鋼のような疲労感が体を襲う。

そして後者、夏はうだるような暑さと湿気の中、一日を通した後の疲れは体の内側をまるでこなき爺をしょって座り込んでいるような疲労感を体が襲う。

何が言いたいか…

夏の疲れ方というのはどしんとした、「鉛のような疲れ方」なんじゃないかと思っている。

そう…

身体の芯に伝う疲労感が「鋼」と「鉛」と言葉のニュアンスが季節によって変わってくるのではなかろうか。

謎な文章を書いているが、夏の鉛のような疲れ方というのは言い得て妙を得ているなんて思っている。

暑いの湿気がと理由はあれど、やはり一番の理由は汗をかく事にあると私は思っている。

とかく汗をかくと何かと面倒だし、第一不快指数も上がる。

身体の塩分も抜けていくし、ぐったり感も増すんだと思う。

そして皮膚は体全体を包む臓器なんて言われている位だから、汗をかくことによって何かしらの影響が疲労感として表れるのではなかろうか。

ぐったりした所に、この暑さと湿気…

鉛のように足取りも重たくもなってまう(>_<)

っとまあ疲れ方一つを考察してみても言葉のニュアンスが変わって面白いもので、ある意味四季がある日本ならではの楽しみ方なんじゃないかと思っている。

むしろそうでもせんと、この疲労感を他人事のように切り離して面白がる余裕が生まれないからね~(*'ω'*)

「面白きこともなき世をおもしろく」

高杉晋作の言葉だったっけ。

いや、全くその通り。

そんな心持ちを大事にしたいもんだ。

そして先日仕事で疲れた後に寄った、よく行く食堂の店主さんと「疲れてるんすよ~」なんて喋っていたらとある銭湯を勧められた。

以前から行ってみたかった銭湯だし、行ってみよかとそのままその銭湯に向かってみた。

銭湯か~…

以前はよく行っていたが、ここ数年は足が向かっていなかった。

最後に行ったのは四年前、風呂上がりの全体のくつろぎスペースにあったテレビから、渋野日向子がゴルフ国内大会に出場していた様子が放映されていた。

渋野プロが全英オープンを制覇した年か…。

懐かし!!

なので久しぶりに行った銭湯はとても楽しく、ゆったりとできた。

若い方々が銭湯を営んでいて、レトロな銭湯の佇まいはよく見れば雑多に見えるようで、隅々まで手を加えられており、掃除の行き届いた空気感が店内には漂っていた。

何よりも番頭に立つ若者の身なり、清潔感、そしてうまい具合の距離感が銭湯という空気感を崩さず、地域に根を張っている感じが伺えた。

常連のおばあちゃんとお店の若者が世間話に興ずる姿など、昔ながらの日本の良さを感じさせる銭湯というコミュニティ。

いや、この銭湯を営んでいらっしゃる若者たちが、そのような空気感を大切にしようと努力されているからこその姿なのかな?

いずれにせよ、昭和レトロな空間を若者達が手を加える事によってモダン・レトロな佇まいにアップグレードされた空間は日頃の疲れをくゆらせるのに持ってこいの場所であった。

そして、広報などを自らで作成されていらっしゃったので、銭湯=集いの場という意味合いが色濃く生まれた古き良き日本の場所でもあった。

これを若い方々が演出するという何ともこれからの頼りがいになる事実…。

また行こ。

そして、熱々のお風呂に入る一回目の幸福感ときたら…

「いやぁあゝ~…………!」

っと言いたかったが、周りに人がいたので止めておいた。

私も良い歳した大人だ。

そんな感じで鉛のように感じていた疲れは、熱いお風呂に入った後のぐったり感に見事に昇華し、改めて銭湯の効能を知ることができた。

これもある意味疲労感のおかげか。

その日はそれからすぐに帰宅し、ハイボールを一杯ぐびりといったら気付けば夢の中であった。

疲れていたのであろう。

その疲れを銭湯がときほぐしてくれたお陰なのかもしれない。

銭湯も夏と冬とでは感じ方が変わってくる。

これも四季のある日本ならではの楽しみ方という事か。

やはりおもしろく生きようという姿勢は大事だ。

それにしてもこれからが夏の本番だ。

鉛のような疲労感とは上手に付き合っていかなければならない。

こまめに水分補給を!

などか?

鉛のような疲労感に追随する鉛のような足取り…。

ずしんとくるのか。

困ったものだ。

何もずしんとくるのは疲労感だけじゃなくてもいい。

たまには懐具合も…。

いっそ懐に鉛を入れてみようか!

……

………

あまり季節とは真逆を行くような(寒い)ジョークを言うもんではない。

じゃないと鉛のような視線と、鉛のような空気に耐えられるような、重くて固い鋼のような意思を私は持ち合わせていないんだから…(';')

最後に…

鉛がお好きな方、どうかご容赦下さい。

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!












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