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わたしの中で北島三郎が歌うとき

我慢できなくなってからするのが、
本当の我慢

と、歌っていたのは北島三郎だったか。



長年お世話になっている年上の友人が
仕事で一日家をあけるので、
彼女のご主人のお世話をおおせつかった。


ご主人は御年おんとし80歳の英国人紳士。
軽度のアルツハイマーを患われており、
長時間ひとりにするのは心配とのことだった。

名門大学の元教授で博識な方なので、私も話していて、とても楽しい。

そしてお世話と言ってもフィッシュ&チップスでも買ってきて、昼食を一緒に食べるだけで良いと仰るおっしゃので、二つ返事で引き受けて当日を迎えた。




約束の時間を少し過ぎて到着すると、
ご主人がすでにナプキンや皿、カトラリーをテーブルにセットしてくださっていた。

慌てて食事を盛り付ける私。


飲み物もすでにグラスに注がれていた

実に気が利くご主人である。

ノンアルコールのギネスビールと、
レモンジュース。

どちらが良いか聞かれたので、私はレモンジュースを選び、ご主人はギネスビールとなった。


なんとか食事が始まり、

おしゃべりしながら食べていたら、

あっという間に2時間が経っていた。


しゃべり倒して喉がカラカラ。

ああ、そうか。
レモンジュースがあるんだったと、
一口ぐいっと飲んだ。


カッと目が見開く。

酸っぱ!

目を見開いたまま、
横に転がっている瓶をみる。

「Lemon juice」と書いてあるものの、
これは、日本でいうところの
「ポッカ100レモン」濃縮還元 果汁100%
という料理用のヤツではないか。

内容量200ml。

そして、手元のグラスに目を戻すと、なみなみと注がれている。なるほど、コレ200ml全部ですわ、と。

チョビチョビしか液体が出ない
注ぎ口の構造を乗り越えて、どうやって、200mlも…

と、ご主人をみると、
飲んで飲んでと言いたげに、にっこりとうなずいていた。

もう一口飲んでみた。


が、やっぱり、酸っぱ!


脳天に稲妻が走るくらいに酸っぱい。



でも待てよ…

ご主人は一緒に食事を取っている間に、
記憶があやふやになったり、
言葉がでるのに時間がかかることを
何度も何度も謝っていた。

だから、これがジュースではないと言ったら絶対に傷つくだろう。

脳内で北島三郎が、
が〜まん坂ぁ〜♪と紙吹雪のなか歌っている。


飲むしかない。

でもポン酢を作る時でさえ、大さじ1杯。
レモンティーには数滴いれても威力があるコイツが200ml。

む、無理かも…

そう思った時、


脳内の北島三郎が今度は、
ヨイショ!ヨイショ!ヨイショ!
とハッピにねじり鉢巻はちまきで手拍子をしている。

飲むしかない。



一気にイクしかない。
むしろ、一気でしかイケない。

ふーーーっとまずは息を吐いて、

ゴッゴッゴッゴッゴッゴッ

白目で、一気にいった。

ゴフっ

ムリムリ…
体中の骨という骨が震える。

止まってしまった。


一度止まると、もうダメ。

気持ちも折れる。

そういえば、私はイチゴでさえ酸っぱいと感じるほどの酸っぱいのが苦手な人間だった。



…うん、こっそり捨てるか。



そうあきらめた時、
ご主人がゆっくり立ち上がり、

「温かいお茶をいれるね」と、

だからそのジュースを飲みほしちゃって、
グラスをくれ、と手をだした。


絶対絶命である。


目から汗をかいている気がする。


『我慢できなくなってからするのが、
本当の我慢』


北島三郎先生の仰る通り、
レモン汁、前半戦は、我慢などではない。

体が恐怖を知ってしまった、
このレモン汁、後半戦こそが我慢なのだ。

しかし、手も震えれば、胃も震えている。
でも時間もない。

ままよ…



もう心理で生理を超えるしかない。


手には「メモ」や「数字」、「忘れるな」
などの自身で書いた文字だらけで、
耳なし芳一みたいになっているご主人。

賢い方だけに、自分の記憶が薄れゆくのが辛いのだろう。

杖をつきつき、うちの子の発表会にもきてくださったではないか。

そのご主人が今、笑顔で目の前に立ち、
空のグラスを所望しょもうされておられる。


飲むしかない。


さっきまで神輿にのって、祭りだ何だとジャンカジャンカ揺られていた、脳内のサブちゃんも固唾をのみ、静かにこちらを見つめている…


えい、やー、と

最後、一気にぐびぐびと飲み、

へい、へい… 

ほーーーーーと飲み干した私の鼻の穴は、
絶対サブちゃんより大きくひらいていたのは間違いない。

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