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「教授」の思い出 その4 ドライビング..。

「教授」の経歴も、同乗した車中の会話でよく聞かされました。勿論教えてくださいなんて、言わなくても…。兎も角、話好きでしたから。
生立ち、高校・大学時代のバレーボール選手のこと、イタリアンシェフの修行期間のこと、イタリアンレストランのオーナーシェフだった時の事、その後の話、大手給食メーカーの仕事とか..。
レース歴は、多彩でダートラの他、サーキットで4輪、2輪、0-400レース等…。
所有した主な車も、S60R以前にBMW M5、ポルシェ911、MB Eクラス等で特にM5は気に入っていたようですが、手放したことを後悔してました。


20150405 084TRGで待ち合わせした東名料金所PA 可変ダンパーを調整する教授


更には実家がXXXだったこと、親戚にXXXオーナー家がいること、まー色々聞かされました。ここには書けないことも沢山…。

ここでは、「教授」のドライビングに触れたい。直に「教授」に接した方は分ると思いますが、左半身に事故の後遺症があり、運転するときは、殆ど右手足でハンドルやペダル操作をしていました。その事故は山岳ラリーで谷底へ転落し、一週間位意識不明の重体で、九死に一生を得たという経験があったと。だから障害者施設の給食事業を晩年の仕事にしたいと言ってました。後日、糖尿病が徐々に悪化していくのですが、この障害のためにどうしても歩行が不自由で徐々に運動不足になっていったのではと思っています。
それにしても、あのハンディキャップの体で、五体満足な自分の後ろを付かず離れず走っていたと感心します。
「教授」のドライビングで印象的だったのは、カーブへの侵入速度は速く、ハンドルを切ってから少し戻し、又切り、戻す。という動作をしてました。ある意味、ダートラのテクニックなんでしょうか?自分にそう教えてくれました。最初、助手席に乗って、野麦峠を上がった時は、気持ち悪くなり早く車停まってくれないかなと、念じてました。そうしたら、遅いR32で先にいけなくなりペースダウンした時はホットしました…。ちょほほ。

それにしても、速かったです。「教授」流石です。

トップ画像は、2014/12/22 朝練コースの休憩 城里町の物産センター山桜にて


その1 追悼
その2 「教授」その人
その3 峠
その4 ドライビング…。
その5 イタリアンシェフ
その6 人間の奥が深い
その7 晩秋蓼科ツーリング
その8 いつか

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