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応援

ワールドカップ。M-1。

みんな同じ話をしている。

なんだか気分が下がる。


どうして私は、ワールドカップの話や、高校野球夏の甲子園の話、M-1グランプリ決勝の話をされると、苦笑いしか出来なくなるんだろう。

考えてみた。

その時の私は、むすっとしている。ということは、拗ねているということだ。承認欲求がむくむくと肥大してくる。そうか。悔しいのだ。私は、すごいと賞賛される人たちのことが心の底から羨ましく、妬ましい。才能だけを羨んでいるのではない。その裏に血の滲む努力があるのは分かっている。その努力を自分で選択して、ひたむきに努力し続けられることに嫉妬している。

なら自分も頑張ればいいじゃないか。そんなことは分かっている。分かっているのに難しい。身近なことでいうと、ダイエットなんかがその最たる例だろう。綺麗な人を見て羨ましいと思うが、実際は目の前のアイスを我慢できない。そういうものである。だから皆、日本代表選手や漫才師に一時的に己の全てを託して、精一杯応援するのだ。
私にはそれが出来ない。

ということは、

ということはだ。

私はやっぱり、

頑張るしかない。


私は、私のことしか応援出来ないのだから。
頑張れ。頑張れよ自分。




ほんとは、みんなとテレビを観ながらすげー!と言いたい。

この、良く言えば負けず嫌い、飾らず言えば卑屈な性格の素となった出来事たちは、追々記していくことにする。


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