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あかね噺-第107席・昔の名-感想

「累々戦記」が連載終了。「極東ネクロマンス」が連載開始。
「極東ネクロマンス」はエイリアンズエリアの那波歩才先生の新連載。独特のセリフ回しとアンニュイな雰囲気が魅力的に感じました。
「累々戦記」は、1巻が出る前に打ち切りと、久しぶりの打ち切りの速さでした。絵の上手さを褒める声が多いけど、個人的には雨宮先生の絵のウリが分からなくて、卒なく上手いけど魅力に乏しい感じがしました。
これだけ描ける人なら、何か拘りがあると思うので、それが絵に反映されると変わりそう。
話も絵も、借り物の印象が強くて、作家性が見えなかったので、次に連載する時には、雨宮先生の”仁”が見える物を見たいと思いました。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年4月22日発売 20号 

落語家になって初めて父とじっくりと話すあかね。その頃、志ぐまは三禄と昔話をしていた。

◆感想


過去編に入る予想は外れたモノの、過去の話が入ったことで、過去についての話が来るタイミングは予想できたという事で、一旦よしです。
今回の感想は、父娘の会話・柏家と阿良川について書いていきます。

父娘の会話
前回の感想で、改めってしっかりした話をするかと予想したんですけど、世のお父さんと同じように年頃の娘に話すのは難しいみたいで微笑ましかったですね。

何か話したい具体的な話がある訳じゃなく、このタイミングで少し話したかっただけに見えました。
家に帰ってからいくらでも話せるじゃんと思うのは早計で、家に帰ってしまうと、改めて親子で向き合って話をするなんか出来ないんで、こういう場所で話すしか無かったりする。
このあたりはリアルな感じがしました。

あかねが、仇討ち的な落語家への道ではなく、落語そのものを楽しんでいるのですが、この次のまいけるの真打昇進試験では、あかねも志ん太の破門に向き合わないといけない訳で、ここであかねがどう考え、どういう落語家道を見つけるのか楽しみです。

柏家と阿良川
その後の三禄と志ぐまの昔話ですが、新事実がいろいろと分かってきました。
阿良川は、もともと柏家で、柏屋生禄という落語家が、名跡であった阿良川志ぐまを襲名し、柏屋だった一生(当時は生そば)と志ぐま(当時は禄ゑん)は阿良川になったと。
三禄と禄ゑん、生そばは昔は仲が良かったようで、三禄はその頃のように戻りたいようですが、三禄と志ぐまに縛られてる一生には、それは出来ない。
三禄は、あかねの落語に「志ぐまの芸」に似た自由さ語り口があると語られました。

これは以前から、ここで何度も書いている、柳家と立川の関係に似ている部分と、それとは違う部分があります。
柳家小ゑんだった立川談志は、自分が柳家小さんの名前を継げず、古今亭志ん朝に真打昇進で抜かれたことで、今後ライバルである志ん朝と張り合える名前が欲しいと、林家正蔵に頼み込んで貰った名前が「立川談志」。この時に談志は、柳家小さんの弟子ではあるけれど、屋号が違う状態になり、今の立川はこの談志からの系譜になります。

この談志の位置が、あかね噺では先代の阿良川志ぐまになるので、作中では談志的な位置にいるように見える一生は、談志とは違う事になります。
ただ、一生が三禄と志ぐまに対して縛られているというのは、実話の構図と同じように思います。
一生は、柏家生そばの頃は、将来の柏家三禄を願い、柏家を離れて阿良川になってからは、阿良川志ぐまを継ぐ事を願っていたので、この二人とは仲良くできなくなってしまったと考えます。

柏家生禄は、一生と志ぐまの師匠で、柏家生禄の芸は、柏家でも伝説の芸として語られるほどの大名人だった訳です。
なぜ阿良川志ぐまになったんでしょうか?
阿良川志ぐまという名がすごい名人の名前だから継ぐ人を探してるというのは、あり得る話だと思いますが、それを振られた、当時の柏家のトップ(おそらく当時の三禄)が、一門のエースにそれに充てるのか?
自分が引退した時に、生禄に三禄を継いでもらう方が、柏家の名は上がるし、三禄を継がせないでも、柏家生禄として、凄い落語をやってもらう方が、一門の利益になる気がします。

「立川談志」という名前は、談志が正蔵にお願いしてもらった名跡としてますが、この名前は実はそんなに大した名前じゃ無かったようです。正蔵に悪気があったという訳ではないんでしょうけど、談志の要望に叶う名前を持っていなかったので、あげれる名前という事で「立川談志」を与えたようです。
私たちの知る談志は7代目で、4代目が裸踊りで客を笑わせ人気だったみたいな話がある程度の落語家で、下ネタ芸人みたいな人だったそうです。

なので、この「阿良川志ぐま」という名前も、柳家にいれなくなった生禄を、柳家から出すために与えた名前だったという話もありそうに思います。

なんで、こんな事を思ったのかというと、「志ぐまの芸」です。話を混ぜて自由にやった「狸賽」が志ぐまに似ているというのは、「落語ちゃんちゃかちゃん」の立川談志に似ているのだから、一生が談志なのでは無く、生禄が談志の立ち位置なのかもしれません。
それならば、落語は上手いけど柏家には置いておけない事情に納得が出来ます。

そう考えると、生禄は三禄になりたっかったのではないか?と考える事も出来ます。
その挫折が、弟子の生そばに志ぐまを与えなかったことに繋がったりするのかも?
このあたりは、考えれば考えるほどいろんな可能性が見えてきて面白いんですが、終わりそうにないので、この辺で終わります。


面白過ぎた昔話も終わって、まいけるの真打昇進試験です。志ん太の破門について、まいけるやあかねが向き合って、それをどう超えるかという話になりそうで、楽しみです。今回はこの辺で、でわでわー。






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