畑依存症の話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
熱中は珍しいとは違う、という話を前回させていただきました。
歳を重ねれば重ねるほど、熱中して何かをおこなうことはすくなくなってきているように思ったり思わなかったりします。新しいゲームにしても若い頃、今よりも若い頃ならば、熱中してご飯も食べず眠りもそこそこにずっとゲームと向き合っていた。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
本気で腹がたちコントローラーを壁に投げつける。なんてこともあったりなかったりします。それくらい熱中しているということです。
いわゆる、我を忘れるということでしょうか。
それがいいことなのか、わるいことなのかはまた別の話です。
冷静でゲームをプレイしていないから、うまくいかない。というのも別の話です。
今は、どれだけ熱中しているか。していたか。の話です。
今どきは熱中するのはいいけれど、それが過ぎると、やり過ぎると、依存する。なんてまた新たな心配事がでてきます。
どこからが、依存でどこまでが熱中なのかは医学的にはきっちりと線引きがありそうですが、よくはわかりません。
しかし、自分自身で、ゲームならば辞められるといいことではないでしょうか。
ゲームでなくても、スマートフォーンでもギャンブルにしても自分で終了できる、自分自身の意志で辞められる止められるということではないでしょうか。
時間がいくらでもあり、それにつかうお金もある。のならば自分自身で終了する必要はありませんから、いくら依存症だ。と判断させれも辞められません。
やめても、することがありませんからね。
確かに子どもなどは、そんなゲームするよりも勉強をなんて大人は思ったり思わなかったりしますが、きちんと学校に行ってその間にゲームをしていなければ、勉強は事足りていたりします。
仕事を定年退職などをし、時間がたらふくとある人にとってはかっこうの楽しみだったりします。
仮にゲームではなく、これが畑仕事ならば野菜作りならば、何も畑依存なんて呼ばれません。雨の日にも畑に熱中していてもカンカン照りの真夏に耕していても、何も依存症んなんて言われません。
食事をしているときも、テレビを見ているときも、次は何を植えようなんていつも考えていたとしても、何も依存症だからとは言われません。
生活に支障がなければ依存症にはならないのかもしれません。
ゲームに熱中して電車を乗り越さなければ何の支障もなければ、よい楽しみですからね。
空を見ても雨が降るのか降らないのかわからないので、このあたりで。
ありがとうございます。
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