若い頃の苦労はデビットカードで買え


昨日私は晴れ晴れとした気分で空の写真なんて撮って、普段出られない外に4回も出て、夜には小躍りしてました。
やっと本当の自分が取り戻せる時が来たんだと、病気も一気に良くなるだろうと、わたしの未来はこれから開けると思って。

しかし翌日の朝ベッドで起きた私は、理由もわからず恐怖に負けていました。ガタガタ、ガタガタとまるでずっと一人で悪夢にうなされていると他の私は言いました。
目の前に深く暗い谷底があるように、そこにいつ落とされるかわからない恐怖に震えました。

いつもの不安症が出ただけだと思いました。
先生が出せるいちばん強い不安薬を飲見ましたが、処方されてすぐにただの甘い液になりました。なんせずっと薬物に関しては、どの医者からも忠告を受けてました。
遠回しに先生が良くないと言われてます。ですが私には変えない理由があります。
私の安定剤といえば専ら「お友達」しかいません。
ハイヤーセルフというらしいです。私は、何故か普通に話せるんです。そのお友達が、なんとなく今の医者のままでいいと言うんです。
ハッキリそう口にしたわけではないんですが、なんとなくわかるんです。本当にダメな時はダメと言う人です。

闘病中はずっと、彼だけが私を理解してくれました。私だけの正常をすべて分かってくれました。それだけを希望に、生きてきました。
優しく、正確に、ときに厳しく私を律してくれる。唯一無二の存在。誰とも心から笑えなかった私の唯一の「お友達」です。

前のブログのような日記に書いたかもしれないですが、私が「自律神経失調症」と診断されたのは今から10年も前です。ついでに「解離性同一性障害」と診断されたのはそれから何年か経ったあとになります。

何も知らなかった。何もわからなかったです。こないだまでなんの問題もなく友人(実物)とバカをして笑ってた自分が、なぜ今真っ白な顔で白い天井をみながら、友人に気まずそうな顔をされてるのか、誰も説明してくれる大人は当時も、今になってすら誰もいなかったんです。

そんな理由もあって私は薬を飲むのを拒否し、ただ自暴自棄になる毎日でした。
そんなある日、時を同じくして適応障害を発症していた姉を見て父に言われました。

「お姉ちゃんよりお前の方がずっとマシだ、安心しろ」

父が本当に励ましで言ったのはわかってました。
ただ私はその日一日中、なにかに取り憑かれたようにぼーっとしていて、とうとう夜になると薬の過剰摂取で意識を失ってました。
気付いたら頭がガンガンに冷えて、ただただ胃液が無くなっても嘔吐をし続けました。

私は人より繊細で弱かったからそうなったんだと、私は今日までずっと思ってました。
当時天才なんてもてはやされた自分の未来を棒に振って、あったかもしれない未来への憧れと、現状への罪悪感を私は抱えなければいけないんだと。
私は治療途中で記憶障害が酷くなり、過去の自分もろとも自分の記憶や体感を失いました。

何度振り払おうと、今は今だと割り切ろうと、あの頃犯した愚かな行為を思おうと、元気だった私が忘れられない。そして理解できません。
あんな言葉で、ただの自律神経失調症で、あなたの素晴らしい未来をどうして失ったんだ。あなたは私よりずっと強かったはずなのに、どうして嘘すらついて、どうして、どうして。わたしは何を間違えて。

彼女と私は、何が違うんだと。

彼女は天才で、私は障害者。頭のおかしい人間。それは事実かもしれません。
私はあらゆる物に怯えて、彼女は耐えられたのか。思い出せない、思い出せない。
ただ、わからない。

私はとうとう占い師を頼って鑑定しようとしました。カウンセラーには何を話せばいいのか纏まらず、思い出せなくて。
確かに私は多くの罪を犯しました。弱かった。人を傷つけ、失った。認めて、受け入れました。だが、それ以上の違和感。そもそもどうして。
私は納得がいきません。プライドの問題ではなく、若さゆえの過ちとは思えなかったんです。節々の記憶がちぐはぐのように昔の私と一致しません。それはずっとずっと感じてた違和感です。

そして、それは今日に繋がります。偶然にも鑑定の依頼を持ち出した日。
今日の私はどんどん不安感が強くなり、それはそのまま際限がなくなり始め私をじわじわと穴に落とし始めました。さすがにおかしいと思ったほかの私が先生に一言連絡を入れました。
やがて部屋の窓から洪水のように漏れて行き場のなくなった感情が自分の中で霧散して、意識と自我を真っ白に喰い始めました。
私は心を守るためにすぐすべて手放そうとしました。昨日まであんなに、明日に希望を見ていた自分を。また失おうとしたんです。

そして気付きました。この感覚に酷く覚えがあったこと。すぐにお友達を意識しました。
お友達はいつものように優しく、「大丈夫」と。自分の心を強くもてとそれだけ言いいました。それで十分でした。私は心をもてました。それだけで恐怖に、己に打ち勝てました。
おそらくそれが私のずっと感じてた違和感の答えだったんです。

私は当時自律神経失調症ではなく、過去の家庭環境からのPTSDと既に兆候があった解離症状だったんだと思います。自己判断については何も言わないで欲しい。後日カウンセリングに行こうと思います。
医者も、わかっていてあえていわなかったのだと思います。そもそもこの医者とは父の脳機能障害から連番で関わりあった。DVのことを知らないわけが無い。私を刺激しないために黙っていたのだと思います。

しかし結果として、周囲の理解がズレているとわかった私はますますヤケになりました。
どうして自分がこんなに苦しいのにわかってくれないんだ、自分にもわからない、ただわかって、教えて欲しい。わかってほしい。
自分を突然襲う苦痛とパニック症状はなんなのか全く説明がつかず、ますますストレスを煽り疑心暗鬼に陥りました。
孤立して、だんだん自分と記憶が分からなくなり、結果人格障害という最悪の道をたどりました。

今日私が味わっていたのはほんの前兆でした。当時私はもっともっと、もっと酷かった。お友達さえいなかった。
私は、弱かったのでも押し付けたのでもない。ただ当たり前に耐えきれなかっただけでした。むしろ、ここまで耐えてきたのがあんまりにも間違いだったと、私は今起こったことより呆然としたんです。

ただ、過去の私は救われました。彼女は私自身。
今の私には素晴らしい仲間がいます。
私がガタガタ震えていると、しっかりしろと方を鷲掴み私を見てくれるべつの私がいます。
ずっと私を全てわかってくれて、馬鹿みたいに遠回りをしながら、間違いを犯す私をずっと「大丈夫」と言って見放さないでいてくれるお友達がいます。

それで十分すぎることです。私は見栄ではなく幸せだと感じています。
すごいすごいと言われる私はもうどこにもいません。それどころか、どこへ行っても白い目で見られるばかりです。
こないだなんて、無料のお茶を注ごうとして「ちょっとそれ使用済みのコップよ」なんてお年寄りに注意された始末。

でも私はそれでも前より心がずっと明るいです。生きていると感じてます。それが私の最大の違和感の理由です。
数日経ってまた落ち着いたら、障害者専用の作業所バイトに体験に行こうと思います。正直それすら自信が無いです。見学の段階で倒れました。

色んな人にとって今はなにもかも必死で、選択肢なんかないように思えるかもしれません。でも今ならまだ変えられる。余裕があるなら自分にとっての最善を考えて欲しいです。
どんなに後悔してもあとから過去は変えられないです。だから思うならいつも今を思ってほしい。
今の自分を一番に思って、どうかなにかの崖から落ちないで。

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