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育児で最もストレスなこと

えー、あ、はい。 題名の通りです。

もちろん大なり小なり子供の行動を咎めたり、導きたい方向に行かなかったり、子供と接していれば普遍的に起きるそれらにも、小さなストレスは感じます。

が、ほとんどの場合、ほんの一瞬で忘れますし、なにより子供の可愛さがそのストレスを上書きしてくれます。

では、何が最もストレスか?

私の場合、「何の根拠もなく母親>父親」と定義される瞬間すべて、です。

特に初見の方にこれをされると、本当にウンザリします。

具体的に言えば、「親御さんと遊ぶ時に」と言えばいい場面で「お母さんと遊ぶ時に」と言われたり、ただ、私が子供の様子を説明しているだけで「お父様なのに、お詳しいですね」と言われたり。

これは父親やってる中で散々言われた事でもあったので、多少免疫はあるつもりでしたが、今日はまた別のアプローチを浴びてしまいました。

ある理由で子供、妻、私の三人で初見の方と面談する機会。便宜上、子供と親は別々の部屋で別の対話を行う事に。

子供が一人で初見の大人と話す事から、途中で過度な緊張を催す可能性もある為、その際は「親御さんが横に居て構わない」と説明され、ここまでは納得。

ただ、次の瞬間「そうなった場合は、”じゃあ”お父さん行ってあげて下さい」との台詞。

その時は、この台詞に違和感を覚えるに留まったのですが、話を進めるにつれ、この理由が明らかになります。

対話の詳細は割愛しますが、QA形式で子供の様子について話す場でした。

私たち夫婦は、普段から無理のない範囲で子供の様子について情報を交換しており、片方だけが接した時間があった場合は、もう片方がその時の様子をテキストで伝え、余裕があれば夜に直接会話して共有するようにしています。

この行為は、私たちにとって特別なものではなく、子供が生まれてからずっと続けている行いです。

親である以上、職場、園、学校、公的機関などあらゆる場面で子供について説明が必要になりますし、何より二人とも子供の全てを知っておきたいので、義務感なく情報共有が出来ています。

別の言葉でいえば、妻でも私でも、第三者に子供のことを伝える際の回答は、ほぼ同じになる状態です。

そのため対話の中で、妻か私か、どちらがメインで話すでもなく、質問内容に応じて代わる代わる回答を行い、対話を進めていました。

すると30分くらい経ったところでしょうか?
以下のような問いを投げかけられました。

「本日はお父様も良く話されてますけど、普段はお子様について、奥様とお話されるのですか?」

初めはあまりに意味が分からなくて、言葉のまま受け取り、私と妻が如何に普段から情報交換しているかを話しました。おそらく熱弁の部類だったと思います。

ただ、それでも質問者は次の質問に移行しようとしないので、少し考え、一つの推測にたどり着きました。

(なるほど、この人は私つまり”父親”が話した内容が、本当に普段の子供の様子を示しているのか不安なんだな) 

と。

つまりはじめの「”じゃあ”お父さんが」という台詞は、「普段の子供の様子を理解しているだろうお母さんと対話を進めればいいので」という意味だったんだろうなと。

ここからは、如何に感情を殺し、懇切丁寧に事実を示し、相手に話の信ぴょう性を信じて頂くか、の勝負です。

私は‎私の普段のワークスタイルから、家事における責任領域や分担の詳細、子供と接する時間の詳細を、丁寧に説明しました。

なんか手元でメモってる体で聞いておられましたが、メモの量を凌駕するほど、圧倒的な事実を説明して差し上げようと。

結果、どこの何が響いたかよく分かりませんが、「お父様も働かれているのに、お子様の事に熱心なのですね」という、相手にとっては褒め言葉だが、私にとっては侮辱的な台詞をもって、信じていただけた事が理解でき、対話は終了。

もちろん、過去に育児は女性がするものだという風潮や実態があったことは存じ上げており、実際私の親戚を見ていても概ねそんなところでしたから、年代によって「母親>父親」という色眼鏡が掛かるのも理解はできます。

ですが、時代は確実に変わっており、法律による男性の育児休暇取得のみならず、リモートワークが普及した現代では、男性が日常的な家事育児をこなす事のハードルがだいぶ低くなっています。

実際に体験していない人間が、現代の事実を受け止め、色眼鏡を外すことは簡単ではないかもしれません。

ましてや私は、全国の父親を代表して、とか、全国のお父さん達頑張ってるんだぞ、とか、クソデカ主語でカッコつけるつもりはありません。

ですがせめて、
・子供を思う気持ちは夫婦間に差が無い事
・育児を行動に移しやすい時代になっている事
・現代はジェンダーニュートラルが重要な事

この3つさえ抑えおけば、今回のような決めつけを少なくするは難しくないはずです。

特に3つ目は、子供の有無に関係なく、現代を生きていく上で最低要件とも言えます。

これを読んだ方の中には、「ポリコレが〜〜」と思われた方もいるでしょうが、結果的にお母さんしか育児をしてなそうな夫婦を見掛けても、表現上は「親御さん」と言うだけで、思いやりのある対話になるのではないか、と考えます。

少しでもフェアでニュートラルなコミユニケーションが増える事を祈りつつ、個人的怒りをトリガーにした駄文を締めたいと思います。

ご覧頂きましてありがとうございました。

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