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障害の社会モデル

次男と公園に行ってどんぐりを集めた時の写真です。

私の母が昔からリースを作るのが趣味?で、子どもたちと一緒に作りたいと思うのですが、どんぐり以外の木の実ってなかなかないですね。

どんぐりは大量にあって、次男は大興奮でした。

さて、私はインクルーシブ教育について興味があり、興味があると言いますか日本の分離教育はおかしいでしょ!と思っていて自分なりに学んでいます。

4月から大学生となり(通信教育課程)、心理学(主に子ども)を学びながら
本や講演会等で理解を深めています。

今日も東京大学バリアフリー教育開発研究センターの研究会に参加しました。

が、子どもいながら片耳イヤホンだったので、またアーカイブでしっかり学んだ後にこちらでアウトプットできればと思っています。

みなさんは「障害の社会モデル」という考えを知っていますか?

障害の社会モデルとは、
障害によって生み出される障壁が個人の心身機能の問題ではなく、社会(モノ、環境、人的環境等)のあり方によって生み出されている
という考え方です。

参照:障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針|内閣府

障害は社会の側にある。
障害は社会が作っている。
という意味で私は理解しています。

次男は中等度難聴で発達がゆっくりです。
でも私は、次男のことを障害児とは思ったことがありません。

意地とかではなく、次男を次男としてしか見ていません。

そう思わせてくれているのは、環境(人、場所)だと思います。

保育園入園時には加配申請をしたり、リハビリや療育に通ったりしていますが、それは次男の日々の生活がより良くなれば、生きやすいものであれば
という考えからであって、障害があるからではありません。

おそらく保育園の先生たちも私と同じように考えてくれていて、配慮や支援が必要な時はサポートしてくださいます。
でも、特別扱いや例外扱いはしません。

保育園のお友達も次男を特別扱いしません。
次男にとって補聴器は大事なものと分かってくれてるし(最初はこれなに〜?と聞いてくれてた)、次男は次男として接してくれています。

そんな環境のおかげで、次男も私も、私たち家族も次男を障害児としては感じていないし、毎日笑って過ごしていられるんだと思います。

でも、就学したらどうでしょうか?

次男は、公立学校でいうところの普通級で過ごすのは難しいと思います。

難しいというか、頑張ってもらうつもりはありません。

となると支援級が特別支援学校か…

なぜ今までいろんな人と共に過ごしてきたのに、急に分けられてしまうんでしょうか?

差別が嫌だからとか、そんなレベルの話ではありません。
ただ、ここから差別が生まれるのではないかと思うのです。

分けられてしまうことに違和感しかありません。

次男も長男も私たち家族も笑って過ごせる場所…

模索中です。

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