見出し画像

お互い楽しもうよ、そこに恋心なんてないんだからさ。

ピンクがかったトロリ乳白色のお湯に、強めにシャワーを当てる。細かな泡がモクモク、モクモク。

「この歳にもなって泡風呂するなんて、思ってもみなかったな。」
楽しそうな素振りもなく、彼は真顔でシャワーのお湯を注ぎ続ける。
湯船の淵に捨てられた空袋には、『ジュエリーフローラルの香り』と想像のつくようなつかないような曖昧な言葉が書かれていた。飲んだら逆に喉が渇いてしまいそうな、底抜けに甘い匂いが辺り一面に広がる。






「ドライブしたくなるようないい天気だな。」

助手席に乗り込んだ私の荷物を後部座席に投げ入れながら、彼はそう呟いた。「じゃあドライブ、しよっか。」「運転しないからって自由だな、お前は。」「あ、バレた?」

正午を30分ほど回ってから私の家に現れた彼は、珍しくオシャレな服を着て、珍しく髪の毛をセットしている。
「とりあえず腹減ったからテキトーにドライブスルーするけど、店の希望ある?」「お兄さんの顔に「マック食いたい」って書いてあるよ。」「正解。てりたま食お。」「春だね~。」
私たちはセフレのくせに、よく食事を共にする。セフレのくせに性欲は強くないし、セフレのくせに会う時にセックスなんてしなくても良いと思っている。セフレの、くせに。


てりたまとサイドのポテト、単品でビッグマックまで平らげた彼は「コーラってこんな味だっけ。」とストローに口を付けながら運転する。
「この車、どこ向かってるの?」「とりあえずショッピングモール。ホワイトデー買わなきゃいけないんだよ。」今日がそのホワイトデー当日だから、今日買っている時点で若干間に合ってない気はするんだけど。「えー、私のホワイトデーなら気にしなくていいよって言ったじゃん!」「アホか、お前のホワイトデーなら買ってあるわ。会社のだよ、会社の。」
セフレのくせに送ったバレンタイン。セフレのくせに用意されていたホワイトデー。やっぱり、少しだけ歪な人間関係。


「あー、痛い出費。」
ショッピングモールで11個のお菓子を購入した彼は、その袋を鬱陶しそうに持ち上げながら言う。そのうち職場の人に渡すお菓子はたった2個なので、こいつはどれだけモテる男なんだと呆れてしまう。
「これ、このうち何人と寝たことある?」袋の中身を覗きながら聞く私に、「馬鹿か、昼間のショッピングモールだぞここ。」と死んだ目で答える彼。「だって気になるじゃん。何人?」「うるさいな。どうせ信用しないだろうけど、ゼロ。」「ふーん。ああ、そう。」「信用しないなら最初から聞くなよ!」「私の予想はね、3人!」「うわ、リアルな数字。」「どう、当たった?」「だからゼロだって言ってんだろ。」

そもそもなんで寝たやつとチョコの交換会しなきゃならないんだよ、とぼやいて見せるから、じゃあ私は何なのよって言いたかったのに、言いそびれてしまった。
私が何もあげなければ、なにも返って来ないのが分かり切っている。私が勝手にあげているだけなんだから、ね。


ショッピングモールを出ると、車は一直線に彼の家に向かって走った。Saucy Dogと福山雅治が交互に流れるような、年齢層の定まらない彼の車内BGMが実は嫌いじゃない。特に英語詩の曲が流れれば、彼の綺麗な発音が聴けたりするから、良い。

途中、彼の職場の前の信号で停車していると、社内の誰かと目が合った。「あ、やべ、俺だってバレたな。」と言いながら全く焦ってない彼。
「大丈夫なの?」「まあ横に乗ってるのが誰かまでは見えてないだろ。」「でもお兄さんが女連れてた!って噂になるかもよ。」「休みの日の昼間に彼女なしの独身野郎が女性とドライブしてるの、悪いことでも何でもなくない?」「むしろ健全だね。」「だろ、箔がつくわ。」
彼はひとつ大きく、欠伸をした。

彼の家に着くと、彼は車を頭から駐車する。「5分待ってて。」「え?」「気変わった、泊まり行こう。」「は?今から?」「あ、やっぱ洗濯もしたいから1回降りて。」「自由か。」



彼の部屋で洗濯が終わるまで30分待つ。
「急に泊まりなんてどうしたの。」「良い天気だし、でかい風呂入りたいじゃん。」「でかい風呂?」「そう。ラブホ行こ。」


なるほど。


世の中には、良い天気だとでかい風呂に入りたくなる人間がいて、でかい風呂に入りたいためだけに、ラブホに行く人間がいるらしい。


なるほどね。


洗濯を終えてお泊りセットを持った彼と、1時間弱離れた県内でも割と有名なラブホに向かう。
途中のスーパーで酒の缶を7缶と、リキュールを1瓶、焼酎を一升買った。「はやく酒飲みたい、酒。」とアルコール依存症みたいな発言をする彼を無理やり運転席に座らせて、再びラブホへの道を進み始めた。

「なあ。」「ん?」
運転中に呼びかけられてそちらを見る。「ここから富士山見えるの知ってる?」「嘘つけ。」「本当だわ。右見ててみ、今日天気良いから多分見えるぞ。」

道が開けて、運転席の彼越しにくっきりと富士の山。

「おお、本当だ。」「だから言ったじゃん。」「ごめん、お兄さんの言うことって信じないようにしてるからさ。」「お前なあ。」



車を隠すシャッターは全自動だった。
まだ午後の15時前。旅館でもチェックインには少し早い時間に、私たちはラブホのタッチパネルを押している。

「あー、久々に来た。」「ここ来たことあるの?」「うん。」「へえ、部屋綺麗?」「綺麗じゃなきゃ連れてこないだろ、普通。」「それもそうか。」

スイートルームは満室で、仕方なく2番目の部屋。キングサイズのベッドにはプロジェクターが備え付けられているし、彼は念願のでかい風呂に喜んでいた。
「酒だ酒!」「風呂じゃないんかい。」「風呂は後で!今は酒!」
大きな窓を開け放っても、お世辞にもいいとは言えない景色。でも、入ってくる日光は心地良い。男梅サワーと缶ビールをそれぞれのグラスに流し込んで、まだ太陽が高いうちに、乾杯。


ぶっ続けで観た映画は合計3本。そのすべてがアウトローな邦画だった。
毎度何ℓという血しぶきを浴び、酒を飲みかわし、金をばら撒き、煙たくなるくらい煙草を吸うような邦画。「今日、血浴びる夢を見そう。」「最悪じゃん。」実際の私たちは、酒を浴びていたわけだけど。




冒頭に戻る。


浴びるように酒を飲んでいた私たちが重い腰を上げて、本来の目的であるはずのでかい風呂に向かったのは、日付も変わったころだった。

「入浴剤、入れる?」湯を溜める彼にそう聞かれ、「どっちでもいいかな。」と私はメイクを落としながら答える。「じゃあ入れよ。」そうやって彼が外装を良く見ることもなく入れたそれが、泡風呂だった。

至極つまらなそうにシャワーで泡づくりに励んだ彼は、「俺が入るときまでに泡消しておいて。」とまた酒を飲みに部屋に戻っていく。25歳女、この歳でまさかの1人泡風呂が決定した。


一頻り身体や頭を洗ってから、泡泡とした湯船を俯瞰する。入る?いや、やめておこうかな。うーん。やっぱり入ろう。

いざ入ってみると泡が柔らかくて気持ちいい。手でパシャパシャと水を叩くと、シャワーで作るより大きな泡が出来る。なんだ、楽しいじゃないか。5分で飽きるけど。

備え付けられたバスローブに身を包んで部屋に戻ると、彼はソファでくたくたに酔った顔をしてこちらを見上げ、「俺も風呂行ってこよーっと。」と出かけて行った。



「泡風呂入った?」「いや、俺はシャワー浴びただけ。」

そもそも彼がでかい風呂に入りたいなどと言うからここまで来たのに、結局彼が浴槽に浸かることはなかったらしい。
「髪、乾かしなよ。」「んー、面倒だからいい。」
彼はコンセントにiQOSを充電すると、そのままベッドにダイブした。時計は2時を指している。いい加減、寝ないといけない。

「俺、眠すぎて抱けないです。」「あ、無理に抱かなくて大丈夫です。」

そんな会話をしながらも彼は腕枕をしてくるから、私も腰周りに腕を回して抱きついた。「おやすみ。」「おやすみなさい。」




5分、いや10分、もしかしたら30分経ったころ。

彼に顎を持ち上げられ無理やりキスをされると、指を口の中に突っ込まれる。息ができなくて彼の胸を叩く。心臓が、うるさい。

「ねえ、」「何?」「お兄さん、今日は抱かないって言った。」「うん、言ったなあ。」


「俺、お姉さんの匂い嗅ぐとダメかもしんない。」


それは褒められているのか貶されているのか。
まあ悪い気はしないから、私は大人しく彼に抱かれるわけだけど。


「そのずっと目瞑るのって、癖?」「え?」「顔隠すのと目瞑るの。」「癖、かな。」

「やめたほうがいい、勿体ないよ。」


彼が何を勿体ないと言ったのか、今も私は分かっていない。

けど。

暗闇に目が慣れたころ、彼の欲情した目とか、ふわっとした前髪とか、肩幅とか、胸板とか、全部ぜんぶが見えて。

なるほど、悪くないなあと思った。





彼がホワイトデーだとくれたイヤリングを太陽にかざす。

「大事にする。」「どうせすぐ失くすくせに。」「そんなことない!」

今日は富士山は見えなかった。
運転席から香る香水は、年下の若さが残るCalvin Klein。


会話が途切れる。
Aimerのカタオモイを2人で口ずさむ。

私たちは、セフレのくせに。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,933件

#眠れない夜に

68,945件

全額をセブンイレブンの冷凍クレープに充てます。