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アルコール、いつもと同じ毎日、夏

学生の時、夏は恋の季節だ!って盛り上がっていたのがウソみたいに、社会人の夏は大して盛り上がらない。気がしている。


夏祭りにわざわざ出向こうとも思わないし、海とプールは疲れるだけなのを知ってしまったし、そもそも社会人には夏休みがない。あってもお盆休みだけだ。


長期休みに好きな人と校外で会うドキドキとか、会えないからこそメールのやり取りをして思わせぶりな言葉に一喜一憂したりとか、そういうのって本当に貴重で、高校卒業までにもっともっと楽しむべきだったんだなと思う。



「今年の夏は大学生向けのプランをしっかり打ち出したいと思っていて…」と真面目な顔をして話をしているのは、私の同期だ。

就職した小さな自動車販売店は3年前にレンタカー事業に手を出し、それが思ったより成功していた。

同期は2年前からレンタカー事業部の企画営業課に異動になった。出勤するビルは同じとはいえ別の階なので、こういう合同会議でもない限り顔を合わせることもなくなった。



「最近めっちゃ売ってるらしいなあ」

低すぎない耳触りのいい声が聞こえて振り返ると、営業スマイルの同期が立っている。やめてよ、と言いながら目をそらす。

レンタカー事業部と販売事業部は、ここ最近合同会議ばかりしている。レンタカーの儲けが良いことから販売事業部の規模を縮小する、というのは専らのウワサだ。
いつ規模縮小して異動になってもいいように、事業の内容を共有しているのだろう。


「自販機行くぞ」「奢ってくれるの?」「なんでお前に奢んなきゃいけないんだよ」
会議が休憩になって社員がポツポツといるビルの廊下を、肩を並べて歩く。


4年前に5人で入社したはずの同期は、いつのまにか私とこの男だけになっていた。


自販機前にはちょっとした休憩スペースがあって、お気に入りのソファに座る。同期は自販機で缶のミルクティーを2つ買って横に座る。
「結局奢ってくれるんじゃん」と言うと、うるせー、と缶のプルタブを開けてから渡してくれる。ありがとう、と受け取る。

特に話すこともなく無言のまま座っていると、「今日の夜は?」とぶっきらぼうな質問がくる。「空いてるけど」「何時に帰れそう?」「会議のために店休みにしてるから、会議終わればそのまま帰宅」

じゃあ~、と同期はミルクティーを飲み干すと、「飲み行こう、俺めっちゃいい店見つけた、絶対気に入ると思う」とまた営業スマイルをした。



同期は会議後もちょっと仕事があるというので、私は一度帰宅してスーツを脱ぎシャワーを浴びる。どんな店に行ってもいいように一応襟のあるブラウスを着て、プリーツの細かいベージュのロングスカートを履いた。

ベランダで洗濯物を取り込んでいると、下の道路を同期の車が走っていくのが見えた。あわてて化粧を始める。

『いま帰宅したー!15分後に迎え行く!』というLINEに、『車で行くの?』と返信したら、『歩きでお前のアパート迎えに行く!』と返ってきて、小学生の待ち合わせみたいだな、と笑ってしまった。


アパートの入り口にあるガラスドアを鏡代わりに前髪を直していると、小走りで同期が向かってくる。スーツからキレイめのシャツに着替えた同期の姿を見て、この服装にしてよかったと安心する。

「走らなくてよかったのに」「店予約してるからさあ」「えっ、何時から?」「19時」

間に合うかなあ、なんて高そうな腕時計を見る同期は余裕そうな顔をしているので、たぶん間に合うのだろう。
空は18時半とは思えないくらい明るくて、夏に近づいていることを感じる。

「この辺にめっちゃいい店なんてある?」と聞くと「国道をドラッグストアんとこで右に曲がって~、そっからずっとまっすぐなんだけど~」ともったいぶったように道のりを示して、「割と歩く」と真顔でこっちを見ながら言う。

割と歩くんかい、とこちらも真顔でツッコミを入れて、「まあ運動だ、運動」と元気よく手を振りながら歩いてみる。同期も真似しながら歩いたあと、「でも帰りはタクシー呼ぼうな」といたずらっ子っぽく笑った。



お店はもともと空きテナントになっていたところで、小綺麗なバルがオープンしていた。「外回り中に見つけて一緒に来ようと思ってたんだよね」と言いながら、同期は店員さんに名前を伝える。

牛肉やチーズの写真が並ぶメニューから、テキトーに盛り合わせと赤ワインを注文する。ワインの銘柄なんてさっぱり分からないので店員さんのおすすめを持ってきてもらった。

乾杯、とグラスを傾けてチビチビと飲む。空きっ腹にアルコールを入れるのは苦手だ。



「販売のほう、苦しいん?」運ばれてきたチーズをかじりながら同期は言う。「嫌味か」と返すと、違うって、と焦ったように顔をあげる。

「規模縮小のウワサ出てからおじさんたちさらにやる気なくなっちゃってるし、企画やってる若いのが無能だからこうなったんだって当たってくるし、もう最悪だよ」ローストビーフをひと口で食べながら言うと、同期は困った顔でワインを飲み干した。


「なんでお前企画課なのに一生懸命クルマ売ってんのかなって不思議だったんだよ」「まあ私の提案するイベントが鳴かず飛ばずなのは事実だし」

静かな店内で仕事の愚痴を言うときは、周りから聞こえないように声を低く、小さくしている。
そのせいでさらに気持ちが落ち込んできて泣きそうになるのはいつものことだった。



「もっと頻繁にLINEするべきだったなあ」

営業のおじさんたちの愚痴が止まらず頭を抱えてしまった私に同期が言う。

「こんなに溜まる前に吐き出してくれよ」とまた営業スマイルをするこの男は、私と違って画期的なイベントを企画しては事業を拡大する、いまや我が社のエースだ。
「エースに愚痴言ったって私が虚しくなるだけでしょ」とそっぽを向く可愛げのない私に「その割にいまめちゃくちゃ愚痴ってたけどな」とサラッと返してくる。

エースは否定しないんかい、と心の中でツッコミを入れた。



「なーんで男のほうが先に酔うかな!」

2人分の会計を同期の財布から勝手に済ます。この男はいつだって私より先に酔いつぶれる。

「起きて、タクシー来たから」と揺さぶるとゆっくり目を覚ます。店員さんが置いてくれたお冷を渡して「自分で歩ける?」と聞くとへにゃへにゃな笑顔で頷いた。

タクシーが来るまでお店にいさせてくれた店員さんたちに何度も頭を下げながら、私より15センチも背の高い男を抱きかかえて店を出る。運転手さんに同期のアパートの目の前にあるコンビニに向かうよう告げる。ああ、疲れた、とため息を吐く。


歩くと30分かかった道のりもタクシーだと10分だ。乗り出し料金にちょっと追加された程度の金額を今度は自分の財布から出して、同期をたたき起こして降りる。

「んー、よく寝た」「いい加減サシ飲みで寝るまで酒飲むのやめて」「あ、怒ってる」「当たり前でしょ、うちら今年もう26歳だよ?」

そんな言い合いをしながらコンビニから道路を渡って同期のアパートの入り口に向かう。
エレベーターの中で寝ないようにね、と釘を刺して帰ろうとすると、腰に回される手。

「なに?」

「今年もう26歳の男女がサシ飲みして、そのまま帰るわけないでしょ」

そのまま有無を言わさず部屋に連行するコイツもコイツだけど、ついて行ってしまう私も私だ。二人が纏うアルコールの匂いと同期の柔軟剤の香りが混じって、途端に頭がクラクラしてくる。



皺だらけになったシーツの上で2人で天井を見て寝ころぶ。ベッドの下に散らばっているであろう衣服は暗くてどこに行ったか分からない。プリーツスカートだけはハンガーにかけておきたいなあ、なんてボーっとする頭で考えていた。

「何回目だろ」と呟くと「11回目」と即答された。たまにサシ飲みをしては身体を重ねるようになって、もうそんな回数になるらしい。


「よく覚えてるね」

「俺のフラれた回数だからな」


同期は事もなげに言う。息が詰まる。

「会社の人と恋愛したくないんだもん」「うん、わかってる、俺が好きって伝えたくて伝えてるだけじゃん」「ごめん」「おい!ややこしくなるからフラれた回数増やすな!」

同期のほうを見ると天井を見上げたままニコニコ笑っていた。こうして営業スマイルじゃない笑顔が見られるのが嬉しくて、私は同期と飲みに行くのを辞められない。


「別に付き合いたいとかじゃなくてさあ」

いつもはこのまま寝落ちして朝になるのを待つだけなのに、珍しく同期は話を続けてくる。うん、と相槌を打つ。

「家族になりたいなあ、と思ってて」

「家族?」


いつだったか2人で飲んでいる時に、2人とも両親が離婚していることを知った。離婚の原因まであえて聞くことはしなかったけど、なんとなく浮気なんだろうなと察した。


私は高校受験が終わったタイミングで両親が離婚した。元々なんとなく分かっていたので高校は寮のある県外を選んでいた。学費だけは助けてほしいと父親に頭を下げた。
どちらが悪いわけでもなくどちらも外に恋人を作っていた。書面上の親権は父になったが、離婚後に会った記憶はない。


同期は高校を卒業するタイミングで両親が離婚したらしい。子どもの前では仲睦まじそうだった両親が、急に目の前であれは演技でしたとカミングアウトしだした時には鬱になりそうだったと笑っていた。
当時まだ高校生だった妹は母に、同期は父方に引き取られるも、大学で県外に進学したのでそれっきり連絡もとっていないと聞いた。


私は結婚や家庭をもつということに希望もなにもなかったので、勝手に同期のことも仲間だと思っていた。


「家族とか、ほしいと思ってたんだ」きっと私の声は少し震えていて、泣いているようにも聞こえたかもしれない。

「そりゃほしいよ」と同期は相変わらず明るい声をしている。急に枕もとのリモコンで部屋の電気を点けるので、眩しくて「ぎゃ」と変な声が出た。
足元で散らかった衣服はそのままに、クローゼットから自分のと私のスウェットを引っ張り出して投げてくる。


「テレビでありがちな家族愛とか、親子の絆とか、そんなのはちっとも信用してないけどさあ。子どもは両親にとって宝物、なんてのもあんまりピンとは来ないんだけど。」
スウェットを着ながら同期は話す。明るい部屋だと適度に引き締まったお腹の筋肉がよく見える。

「だから誰とでもいいから早く結婚したい、早く自分の子どもが欲しい、なんて微塵も思わないし、できなかったらそれはそれで良いかっていうのもある。」

でもさ、とお揃いのスウェットに着替えた私の前に腰を下ろして、


「柄にもなく、あなたとは、家族になりたいと思ってる」


そう言う同期の目は真っ赤で、そうか、この人は明るい声で泣くんだな、と冷静に納得する自分がいた。



飲みに行くばかりじゃなくて、昼間におでかけもしてみようと提案したのは私だった。部署は別でも休みは同じなので、早々に予定を合わせて近場の水族館に出かけた。


「水族館なんてありきたりだったかな」とはにかむ同期に「今日は営業スマイルしないんだね」と意地悪を言う。

水族館の中は適度に冷房が効いていて、平日なので人は疎らだ。ここなら会社の人も来ないだろうし良いよね、と私たちは手を繋ぐ。アルコールの入っていない人のぬくもりは久しぶりだ。


同期の涙に絆されて、この人と一緒になれば幸せなのかな、と少しだけ思った。ほんの少しだけ。

それと同時に、冷え切った両親の仲とか、帰りたくなかった実家の空気とかを思い出した。私も両親のようにほかの誰かに浮ついた気持ちを抱いてしまうかもしれないし、もし子どもがいたら不幸にしてしまうかもしれない。


もう10年も前に縁を切って連絡すら取っていない両親なのに、いつまでも付いてまわるのはどうしてなんだろう。私は1人の人間で、この26年間で浮気なんてしたこともないのに、なんで素直に幸せになれないんだろう。


「体調悪い?ちょっと水分取ろうか」

ハッとして顔をあげると、眉尻を下げた同期が顔を覗き込んでいた。きっと難しい顔をしていたのだろう。

屋内でも熱中症になるっていうからね、と水族館の中にあるカフェに連れて行ってくれる。最近はデート向けのオシャレな水族館が増えたな、と見当違いなことを考える。


カフェは大水槽と隣り合わせで、もうすぐお昼なのに誰もいなかった。先に席に座っていると、両手にカラフルなソーダを持った同期がくる。


「見てこれ、光る」

「え、今どきのソーダって光るの!?」


インスタ映えじゃん、インスタ投稿したことないけど!と2人でキャッキャと盛り上がる。いつも通りの私を見て同期は安心したような顔をした。



近くのよく行くレストランでコース料理を食べて帰ろう、と水族館を出ると、夏の夜特有のモワッとした湿気に包まれた。一気に顔に脂汗がにじむ。

よく行くレストランはちょっとした高台にあって、ホテルの最上階みたいに景色がいいのにお値段がお手頃で気に入っている。ホームページを持たない穴場のお店だ。

お店に入るとオーナーのおじさんが丁寧にお辞儀して、窓際の席へ案内してくれた。


メインのお肉料理が運ばれてくるころ、急に外が明るく光った。


「花火だ」

同期の声で外を見ると、街を流れる大きな川から花火が上がっている。


「花火なんてちゃんと見たの久しぶり」

「俺、社会人になって初めてかもしれない」

「私も」


食べる手を止めて2人で外を眺めていると、オーナーは静かに私たちのグラスにノンアルコールのシャンパンを注いでくれる。


「そっか、大人は夏をこうやって楽しむのか」

とシャンパンに口をつけてから納得すると、同期は不思議そうにこちらを見てくる。そして笑いながら「よく分かんないけど、たぶん俺といればずっと楽しいよ」と得意げに言った。キラリと光る歯が綺麗だ。

「そうかもね」と答える私の呆れ顔に同期はさらに笑顔になる。



「だから俺とずっと一緒にいよう」

この男の告白はいつも冗談交じりだ。

「私はあなたを楽しくできないよ」

私の返事はいつも否定的で、消極的だ。


そんなことないけどな~、と伏し目がちになる目の前の男の頬に手を伸ばす。長いまつげが綺麗で腹が立つ。


「それでもよければ、私はあなたと家族になりたい」


花火が今日1番の高さで上がる。それから数秒遅れてドーンと重低音がする。

今年の夏もどうせ海にもプールにも行かないけれど、家でかき氷くらい作ってみるのは良いかもしれない。削るのは面倒なので、Francfrancで自動の可愛いやつを買おう。

全額をセブンイレブンの冷凍クレープに充てます。