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たまに、あなたに溺れる休日があってもいいじゃない

『でっけぇステーキ肉が届いたから、焼いて食べる会をしよう』


休日にスウェットとすっぴんのままソファに転がっていたら、そんなLINEが届いて口元がにやける。すぐにその通知を開いて、『しよう』と返信する。ちょっとふざけたスタンプも添える。
数秒で既読がつき電話がかかってくる。ワンコールで出ると、「早いな!」と笑う、男にしては高めの声がした。


「暇してた?」「すっごい暇だよ、まだすっぴんだもん」「俺もまだ髭剃ってない」

今日は土曜日、あと10分もすれば正午だ。

お昼ご飯は各自で軽く食べて、14時くらいに俺んちの最寄り駅集合で!とグイグイ決められて、仕方ないからソファから身体を起こす。グーっと伸びをして、冷蔵庫の中身を確認し、お昼の献立を考えながらシャワーを浴びる。


その駅は私の最寄り駅から2駅、電車で8分。歩いても余裕でたどり着ける距離で、徒歩だと20分。ステーキに思いを馳せながら、少しでもお腹を空かせたくて今日は歩いて向かう。

駅の目の前には電動自転車の貸し出しスポットがずらりと並んでいて、その屋根の日陰でモデル体型の男が涼んでいるのが見えた。

「お兄さん、芸能界とか興味ある?」自分の中で精一杯の大人びた声を出すと、男は面倒くさそうに振り返ってから、「芸能界には興味ないけど、お姉さんには興味ある」と満面の笑みをした。


「あんたスカウトの人に毎回そんなこと言ってんの?」「相手による」「スカウトされることは否定しないんかい」「あーもう、暑いからスーパー行こ!!」


この男と出会ってもう9年目になる。

高校の入学式で女子たちがみんなざわざわしていて、こんな少女漫画みたいなことってあるんだなって思った記憶がある。そのレベルでイケメンだった。

この男は呆れるほど女癖が悪くて、先輩後輩関係なく学内の女に好き放題手を出していた。1度しか抱かない女もいれば、ずっと関係を持つ相手もいたらしい。
この男にどれだけの期間かまってもらえたかが、当時の女たちのカーストを決めたくらいだった。


そのモテ男が、社会人2年目になったいま、嬉しそうに私の腰に手をまわして歩いている。悪い気はしない。私はなるべく背筋を伸ばして、いい女の立ち振る舞いを心がける。



「ふるさと納税?」「そう、節税したくて眺めてたら旨そうなステーキ肉と目が合っちゃってさ」

突然ステーキ肉が届いた理由はそれだったらしい。
「私も去年やってたよ、梅干し1㎏届いた」と得意げに言ってみる。多いな!とか渋いな!とか言われると思ったのに、返ってきたのは「実は梅干しも迷ったんだよな~」とまさかの賛同意見だった。



本当は赤ワインが合うんだろうけど、と言いつつ缶ビールを4缶カゴに入れる。小さめの瓶に入った私の好きな梅酒と、しっかり冷やされている男の好きな日本酒も購入した。

食材はステーキ肉と付属のソースしかないというので、出来合いのサラダを2種類選ぶ。それでもツマミが足りなくなったらコンビニに行けばいいよ、と私たちはスーパーを後にする。


スーパーから男の家までは歩いて7分ほどで、その道のりに2つもコンビニがある。田舎者の私が都会に出てきて1番驚いたのはコンビニの多さだった。

見るからに厳重そうなセキュリティのアパートで男は暮らしている。カードキーをかざしてドアを開けると、慣れた様子でエレベーターに乗り込んだ。私もあとに続く。

エレベーターで向かい合わせに立つと男の耳あたりで金属が光る。「ピアスしてるの珍しいね」と指さすと、「たまにしないと塞がっちゃうんだよ」と言いながら男は私の耳たぶに触った。



「とりあえず休憩!暑い!ビール飲もう!」

部屋で荷物を下ろすや否やこれだ。まだ15時だぞ、と呆れてしまう。今日買ってきた缶ビールは冷蔵庫にしまって、奥からしっかり冷えた缶ビールを渡してくれる。そういえば喉も乾いているしな、と自分に言い聞かせて受け取り、カシュ、と音を立ててプルタブを開けた。


昨日の夜やっていた歌番組の録画を流しながらゴクゴクとビールを飲む。おしとやかな女子でいることが目標だったのに、この男と飲んでいたらお酒が得意な女として育ってしまった。

もともと最初の1杯ですら飲みたくなかったビールが飲めるようになったのは、年を重ねて味覚が変わったのか味に慣れただけなのか。


「昼間から酒飲むとイケナイことしてるみたいで興奮するわ~」「わかる、天気が良ければいいほど自分がダメなことしてる気がする」

私たちの声は大きくて、酔っ払ってきたことがわかる。カーテンが全開にされた窓からはこれでもかと日差しが差し込んでいて、エアコンが効いた部屋でも暑い気がしてくる。


缶ビールをお互い1缶ずつ飲み終えると、男は「タバコ吸ってくるわ」とベランダに出ていく。私はキッチンに行き、空き缶をじゃぶじゃぶ洗った。

ふと玄関から男物のサンダルを手に取ってベランダに行く。一歩外の空気に触れるとそこは無慈悲なほど暑い。「どうした?」と男は風下に移動する。そして「寂しくなっちゃった?」とニコニコしながら私の腰を抱いて近づけた。

男の纏うバニラの香水も、抱き寄せられて感じる体温も、今さらドキドキすることはない。私たちは、セフレになってもう6年だ。



私たちの高校は田舎にポツリと立つ私立高校。エスカレーター式の大学目当てにこの高校に入学する生徒が多く、外部の大学に進学する人間は極端に少なかった。
もともと付属の大学には興味のなかった私は都内の大学に合格。同じ高校からその大学に進学したのは私とこの男だけだった。


高校時代は私と挨拶すら交わしたことがなかったくせに、入学前の春休みにはどこから入手したのかLINEをしてくるようになった。

大学近辺に引っ越した男と、最寄り駅は同じでもスーパーや居酒屋などの近辺に引っ越した私。次の日が1限なら男の家に泊まるし、飲んだくれた日は私の家に泊まるようになる。そんな男女がセフレになるなんてもはや自然の摂理だった。


高校時代にいた彼氏は遠距離になって早々に別れた。そういえばこの前Facebookで結婚したと報告していた。田舎は結婚が早い。


男は大学に入ってからも関わる女と片っ端から関係を持っていたが、どうやら良くない女に手を出したらしく、少ないながらに慰謝料のようなものも払ったと聞いた。
懲りたのかそれからは全く女遊びをしなくなり、地元の女は安全だからという謎の理論で、すべての性欲を私にぶつけるようになってしまった。


それからもう6年経つ。社会人になるタイミングでも結局私たちは地元に帰らなかった。お互いほかに異性がいるわけでもないのに、私たちはセフレのままだ。


男がタバコの火を消したベランダから私たちはなだれ込むように部屋に入ってきて、そのままソファでセックスをした。名前を呼び合って愛の言葉も囁くような甘ったるいセックス。
整いすぎている顔と、情事の間は低くなる声と、外から差し込むギラギラした太陽の光が、また私をこの男の虜にする。

とっくの昔から、私はこの男のことが好きだ。



肉と一緒に入っていた紙を見ながら、男は真剣にステーキを焼く。
その横で私はサラダを別皿に移して、酒用の氷やグラスを用意した。

まな板の上でカットされた肉は良い感じにレアで焼けていて、テンションが上がってその場でひと切れずつ食べる。「うっま!!」と叫びながらハイタッチをした。

冷めないうちに急いでもう1枚の肉も焼いて、付属のソースとは別に塩やらマスタードやらも添えていく。普段は敷かないランチョンマットの上に料理を並べたら、まるでレストランのコース料理みたいになって笑ってしまった。


「久々にFacebookでも更新しようかな」と男が写真を撮っている。じゃあ私はSNSに載せないようにしなきゃな、と心の中で思う。私たちの関係は親友にすら話してない。

「Facebookと言えば、元彼結婚したな。」スマホのカメラの設定をいじりながら言う男。「なんで乾杯前にその話をするかな」男を小突く私。


今度は缶ビールをグラスに注ぎ、カチリと音を立てて乾杯する。
ゆっくりお肉を口に運びながら、会っていなかった約2週間の出来事をお互いに話す。

私は、珍しく母から地元の野菜が送られてきたこと、ひとめぼれして買ったピアスが3日で壊れたこと、職場の女子会があったことを話す。

男は、職場のエアコンが壊れて地獄だったこと、取引先の付き合いでキャバクラに行ったこと、私の元彼から直接結婚の報告を受けたこと、結婚式は断ったことなどを話した。


人の話を聞くときは食べる手を止めて目をしっかり見てくる。私が話すのに疲れてお酒に口をつけると、同じタイミングでお酒を飲む。
最近気づいた男のこれらの行動は、身体に染み込んだモテ男の仕草なのか、単なる育ちの良さなのか謎である。


「結婚式行かないの?」男が話し終えたタイミングで聞く。

「行かないよ」と珍しく目を合わせずに言い捨てた後、「あ、もしかして元彼のタキシード姿の写真見たかった?」とおちゃらけたように笑った。「いらないよ、馬鹿じゃないの」とこちらもつられて笑う。


「参列する女どもに、俺のこと呼んでって言われたんだって」


男がそう言ったとき、私は「まあそうだろうな」という感情でしかなかった。私の元彼とこの男はそもそもそんなに仲が良かったわけではない。元彼の伴侶となる人は、同じ地元の後輩と聞いた。どうせ結婚式にかこつけてこの男に会いたい女がわんさか居たのだろう。

「モテる男はつらいね」とアホなふりをして答えるのが精いっぱいだった。ずっと少女漫画のモブキャラのような立ち位置で生きてきた私には、顔だけでチヤホヤされる人間の苦労は分からない。


「俺は貴女がいてくれればそれでいいの」


一瞬食べる手が止まったが、ククッと男の喉が鳴る音がして冗談だと気付いた。ここで「じゃあ私と付き合ってよ」と言えない女だからセフレのまま扱われるが、「じゃあ私と付き合ってよ」と言わない女だから6年間もそばに置いてもらえているから恋愛って難しい。
「私は彼氏欲しいけどね」と表情を変えずに返事をする。「えー、俺と会ってくれなくなるじゃん」と笑いながら、彼氏を作らないで、とは言ってくれないのがこの男の嫌いなところだ。



あっという間に夜が更けた。

ビールに梅酒に日本酒をチャンポンして、私は意識を手離す寸前だ。
どれだけ酔っても吐かない体質がゆえに、次の日はしっかり引きずる。きっと明日は2日酔いだろう。

男はまだしっかりしてそうな足取りで冷蔵庫からウーロン茶を出して飲んでいる。私の前にも置いてくれたが、飲む力が残っていない。このまま寝てしまおうとソファにもたれたまま目を閉じる。

そんな私を放置して鼻歌を歌いながら寝室に行く男は、クローゼットから小さな紙袋を取り出してきて、私の耳に何かを付けたようだった。


寝てるところごめんね、と隣に男が座る音がして「もう1回抱かせて」と囁く声がしたところで私は完全に眠りについた。



目が覚めると思ったより頭がスッキリしている。いつの間にかベッドに移動していて、服はぶかぶかのスウェットの上だけ。いかにも男が好きそうな服装だな、と苦笑する。

横を見ると、起きている時からは想像できないくらい不細工な寝顔の男が寝息をたてながら寝ている。頬をつついて起こして、「シャワー借りるね」と声をかけてからベッドを抜ける。


私が昨日着てきた服はソファに綺麗に畳まれている。皿やグラスも食洗機でピカピカになっていて、私にはこの男の彼女は務まらないな、と思う。
食洗機から取り出した皿を棚にしまってから浴室に向かった。


洗面台には私の電動歯ブラシが鎮座していて、横の棚の1番下の段にはメイク落としとスキンケア一式が綺麗に収納されている。誰かに使われた形跡はない。
浴室は私が普段使いしているサロンのシャンプーとトリートメントが置いてあるが、これは男もたまに使っているので少し減っていた。

男がとっくの昔に女遊びを辞めていることを知っていても、部屋で女の残り香を探してしまう癖が抜けない。これはきっと私が彼女になれたとしてもずっと続けてしまうのだろう。


ひとしきり棚を確認してからスウェットを脱ごうとすると、自分の耳につけた覚えのないピアスがぶら下がっていることに気づいた。

昨日の夜に男がつけてくれたものだと瞬時に理解したくせに、まるでサンタさんからのプレゼントを見つけた子供のようにはしゃいでみせて、寝室の男のところに舞い戻る。男はやっと気づいたか、と言いたげな顔で起きていた。


「ねえ、これなあに」

「何でもない日のプレゼント」

「なにそれ、変なの」

「似合ってる、可愛いよ」


そんなに愛しいものを見るような目をしないでほしい。「彼氏みたいだね」という言葉は面倒臭い女になりそうで飲みこんだ。「今日はこれをつけて一緒に出かけよう」もダメな気がしてやめておいた。
言いたい全てを抑え込んで、「嬉しい、ありがとう」とにっこり笑う。


「やっぱり自分の家でシャワー浴びるね」と着てきた服に着替えると、男は引き止める素振りも見せずに「気を付けてね」と言う。

「今日は何するの?」と聞かれたので「月曜からの夜ご飯、作り置きするの」と答える。本当はそんなの夜だけあればできることなので、日中はずっと暇なのに。

玄関までついてきた男にここまででいいよ、と伝え、「じゃあね」と短い挨拶をしてドアを開けた。昨日と打って変わってどんよりした曇天だ。


触れるだけのキスをして頭を撫でてくれる男に手を振り、ふり返ることなくエレベーターまでまっすぐ歩く。
昨日男の部屋に入った以来触ってなかったスマホを開くと、悲しいことに公式アカウントからのLINEの通知が4件来ているだけだった。


この家から私の家までは歩いて32分。今日はそんなに暑くないし歩いて帰ろう。


帰り道はいつもこんなに悲しくて虚しいのに、涙は出ない。こんな関係終わりにしよう、もう会うのをやめよう、とも、なぜだか全く思えない。


両耳に揺れるピアスをたまに触りながら、帰りにどの道を通るか考える。

このピアスはまるで自分で買ったかのような撮り方でインスタに載せよう、男は素知らぬ顔で『いいね』をしてくれるだろう。

全額をセブンイレブンの冷凍クレープに充てます。