マガジンのカバー画像

つぶやきの浜辺

506
日々の気づきをつぶやいています。内側に満ちてきた言葉を紡いでいます。 寄せては返す波のように、ただあるがままに。
運営しているクリエイター

記事一覧

どうにもならないことは誰にでもあって、みんな何かを抱えてる。
その瞬間はどうにもできなくても、どうにかなるやと腹を括り、できることを行動に移すから物語りは進んでく。

希望に近づくために、踏み出す今日の一歩から、少しづつ未来は変えていけるんだ。

厳しさの中にある優しさに気づける人は幸い。人に成長をうながすのは、大抵厳しさと向き合う最中。
ひとりで立とうとする在り方のなかで、愛を学び、真に人と繋がり、助け合い、共に生きることを学ぶもの。

どこで何をしていても、誰かのせいにしていたら、いつまでも、自分の望む人生を創り出すことはできない。
今ある状況のなかで、何を選びどう行動するか、そこにある自由意思こそが、人生を創る。
今発揮させる、少しの勇気と行動こそに、全ての扉を開く鍵がある。

かつて感じた痛みはその時のもの。
いまの感性とはまた違う。同じ人生を生きていても、あの時のままなことはあり得ない。
だってあれからもたくさん眠って、ご飯たべて、笑って、泣いて、日々情報を更新して今があるんだから。
いまここにしかない感性でもう一度トライしてみるのもありかもね。

見えないものをあると思うことは難しいように、あるものが無くなることを想像するのも難しい。
けれど、あるものは無くなり、見えなくてもあるものは有る。

人の資質や資源も同じく、今いま、何が手元にあるのかを自ら見いだすことが大切。その資質をいかに使うかで、可能性は無限に拓かれる。

たとえ今が八方塞がりで周りが敵だらけにみえていたとしてもきっといつか、自分に合った水に出会える日がくるから大丈夫。

苦しくても、少しづつ進む毎日の先に、光差す日がやってくる。
その感受性で育んだ豊かな蕾は、きっと光の中で花ひらき祝福のなかで実を結ぶ。

万人に好かれなくていい。 自分が"好きだな"と思える人がいることがどれだけ豊かなことか。 その好きな人たちを大切にできるなら、そんなに幸せなことって他にないほど。 推し活もそうだけど、 すきなものを好きと言い、好きな人を大切にできる世界線を生きていければそれでいいよね。

出会わなければよかった出会いなど
ひとつもない。
出会わなければよかったと、そう思えてくる相手ほど、私たちにとって大きな学びを与えてくれている。

永い時が過ぎて、全ての内にある両極の意味が腑に落ちてきた時に、
その経験は宝物となり、その相手はかけがえのない存在となる。

人は螺旋を描きながら進んでいくみたい。
成長するタイミングで、階層が上がっていき、同じ階層をぐるぐるしてるように感じる時は、成長のきっかけを探している。
そして堕落したタイミングで階層がさがる。でも、その後で掴んだ成長は、飛躍的に階層があがるはず。

どんな道筋を進んでも良し。

オセロは角と端をとりに行く。
途中少々負けていても角と端さえ押さえておけば、満を持してパタパタとひっくり返せる時が来る。
ちょうど、今という時もそんな感じなのかもね。角と端を狙いながら、じっくり、周到に攻めている。
目に見えて状況をひっくり返すのは、もう少し後のお楽しみ。

遠い昔の約束を果たす時はもうすぐ。
大切なことだからと鍵までかけて丁寧にしまい込みすぎて、すっかり忘却の彼方にあったけど。約束そのものは忘れていても、大事なことはやっぱり思い出す。
その中にある大切なものを分かち合いたくて、時も痛みも全てをこえて、
ずっとこの時を待っていた私。

あの頃になくて今のわたしにあるもの。それは経験を通して手に入れてきた気づきの数々。
唯一無二の自分を生きているという実感が私の誇りそのものとなっている。
だからこの先どんな航路を辿ろうと、きっと大丈夫っておもえるのは、その時々に向き合ってきた自分を信じているから。それが私の自信。

パラレルを生きている近ごろ。

私だから見える部分があり
私にしか言えない言葉があり
私だからいける所があるのだと
自分でもよくわかってきた。

私が私であるからこそ
与えられている役割。

ホントもウソもない
裏も表もない、
その時々でシンクロするままに
器として生きていく私。

いのりは届くし 願いは叶う。 誰にも邪魔されず 望みを生きられる。 それを信じるか 信じないかは 私自身に 委ねられている。 全部、決めてくのは 他の誰でもない 私がやること。 それは、 あなたもおんなじ。