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書くことより自分が生きることの方が大事*毎日note180日を前に

180日ということは6か月、半年。

なんとなく毎日だらだらと記事をあげたりしているけれど、
正直ルーティンにしているだけで、毎日書き込む必要性は感じない。

ただ書き込めることの自分を、一日一日褒めているだけな感じもする。

つまんないことを考えることもあるし、
手放したい思いに向き合うこともあるし、
心が整理されてく、キチンと感に押し出されて一日を過ごしている感じ。

最初、誰かの気分転換程度の記事が書けたら充分と思ってた。

日常の同年代とのお喋りの延長のひとり遊び。

ひとり遊びだから、楽しい。

ふわっと言葉が引き出される瞬間に、自分の立ち位置を考える。

サイドワークでwebライティングをしていた時は、
慣れれば慣れるほど、つまらなさが重なって行った。

そこに私の自由がほんの少ししかないから。

クライアントさんの望むであろうことを想像する。

作成記事のお題を選ぶ時は、なるべく自分の好みのものを、
楽しく学びながらと思うけれど、そんなことはそうそうなかった。

ただの数字との格闘。

入れ込むワードの回数、全体の字数とか。

だからどんどん、自分と言葉の仲良し感も遊び感も無くなって行った。

気分転換に自由がきくクライアントさんの仕事もしたけれど、
言葉はただの消耗品で、誰が発する「愛」でも、「嫌悪」でも
同じものになっていくつまらなさが生まれてきた。

ようするに誰でも出来る仕事ばかりで、本来仕事はそういうものだけれど、
ほんの3センチくらいでいいからの創造の場所が欲しかった。

ただの1ミリではまったく足りないのだ。

それに求められてるのは検索能力の確かさなので、
次第に思う事とそのスピードにズレが出てきたように思う。

「書くことより自分が生きることの方が大事」


このセリフは90歳になられる詩人の谷川俊太郎さんが、
ある雑誌の対談の記事で話していた言葉だ。

さすが亀の甲より年の功。

ぼんやりとエッセイストになりたいなぁとこの頃思う。

どうやったらなれるんだろう・・・。

小さなコラムをたくさん書いてみたい。

誰かが読み捨てていく文章でなく、誰かが切り抜いて
ひとときノートに貼ってくれるような言葉か、お話の雑文。

言葉はいつも現実逃避と、頭の中に映し出される夢のような、
懐かしいひなたの世界に連れて行ってくれる。

南向きの丘の上に小さな家を建てる。

南側の斜面には桜の木を植える。

広い木製のテラスがあって、
回りにはポタジェガーデンがあって、
時々予約みたいにして、美味しいランチを招待する広いリビング。

テーブルセッティングを楽しんで、
お料理の仕込を楽しんで、聞き耳を立てて会話も楽しむ。

そしたらそこからまた物語を引き出せる。

エンドレスな空間の小さな家。

10年位そんな生活をしたいなぁ。

星空を見上げて寝る前にカクテルを一杯。

目覚めてPCを開いて、昨日と未来を繰り返しながらその日を暮らす。

時々訪ねてくる友人や家族。

気になる色の明るい髪にして、毎朝ネイルも楽しむ。

どこかのショップのようにアクセサリーを飾る。

あの人を思いながら、ずっと朝から晩まで音楽を流しておく。

そんな暮らしをしながらポツリポツリと吐き出していたい。

いいなぁ~、そういうの。

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