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対等に話せなくなる「思いやり」のフィルター*明るくて甘え上手な彼女

中島みゆきの歌に「幸せ芝居」という曲がある。

私みんな気づいてしまった 幸せ芝居の舞台裏
電話してるのは私だけ あの人から来ることはない

核心をついていると思う。

すべてがこれに当てはまるわけじゃないけれど、
男女の恋愛関係においては、どうでもいい相手には連絡をとることはない。

時々思い出したように、連絡が来る同性の相手がいる。

メールでも季節の挨拶から始まり、年上なのに丁寧文で、
しかもへりくだりの敬語まで使われるので、
いきおい相手に合わせてお天気の話などもしてしまう。

これが電話だと30分以上は時間が経ってしまうので、
やんわりと「忙しいのでメールの方が助かる」という好みを、
さりげなく、折にふれ、分かってくれるようにと、伝える。

お天気や体調の問いのあとに、Aという話が始まる。

こちらはAという話を受け取りながら、
ただのお元気メールと思い、
世間話のAの続きにBという話を混ぜたり、
Cという話題を振ってみたりする。

返ってくる返事に、Bに対する興味の返答はなく無視され、
Cという話題はAとのつながりを見つけ、Aの話が肉付けされる。

そうかAの話をしっかり聞いて褒めて欲しかったのね、と思い直し、
分かりやすい賞賛や、単純な羨ましさのような言葉を混ぜて、
私には興味のないAという話に戻す。

Aという話題に対しての、私の、決して嘘ではない前向きの
あれこれに対して、彼女から想像した私の行動の考察を、
「あなた自身も気が付かないだけでAという話題につながっていき、
あなたはあなたでがんばっている」とでもいうような、
賞賛のお返しコースに走っていく。

つまりAという話題を主題にして、終始話さなければいけないのだ。

相手はそこで満足したように話をクローズしはじめるので、
場合によっては、返信が来るのを考え、
あえてこちらからのメールをしない場合もあるし、
メールをくださったお礼を伝えたり、
お別れの意味の挨拶の何かを返したりする。

そこで一旦終わることをはっきり告げるので、相手も満足すると思う。

相手の生活の中に、私への心配やなんらかの思いがあって
お声がけいただくことはとても感謝している。

話の内容は、何かいいことがあって「教えてあげよう」とか
「伝えなければ」という信念なのだと、ちゃんと伝わる。

こちらの話にすり寄ることはないので、
「お喋りする人がいないのかな」とか、
「分かってくれる人が欲しいのかな」と思い巡らすこともある。

相手の趣味について話をすることは多いけれど、こちらの趣味を話しても、自分の趣味につなげて会話の主導権を取ってしまう。

若い方なら一言に「マウントをとる」と表現するけれども、
ある程度の年齢になると付き合いによっては、
「気分を害してはいけない」とか、
「この場をやり過ごしてしまえば楽」という大人の対応になってしまう。

「大人の対応」という言葉自体も好みではないが、
そもそも好みではない相手と波風たてずに、
付き合わなければいけない必要が、生活の中にある。

言いたいことを言いあえる友人はとても大切な存在だと分かる。

自分を理解しようとしてくれる人の存在を求めたくなるのも分かる。

甘え上手のこういった相手にとって、「私」はその自尊心を満足させて、
他人には「仲がよいのよ」とアピールできる存在だと思われる。

たぶん、本来の私ではなく、表面的な私と付き合いたいと思っているか、
心の奥底では私への興味はなく、そもそも誤解しているのでは、と思う。

明るくて甘え上手な方だ。

大勢の場においても、盛り上げ役になっているらしい。

私に限らず、自分と関わる人に対して感謝が堪えず、
どんな出来事も笑いや希望を子供のように言葉に出して、
恥ずかしげもなく、惜しげもなく、教えてくれる。

きっと「純粋」という部分の容量が、
彼女と私では対等ではないんだろうと思わせられる。

対等に話せないからには、どちらかが仮面をかぶるか、
一歩引いて付き合うしかなく、不完全燃焼の付き合いが続く。

そこまで思い至った時に、
フィルターをかけているのは私の方ではないかと気づいて、
さらに自分自身が可笑しくなってしまう。

結局、誰かに何かを期待してる自分に気付かせられるからだ。

それとも「彼女を好きになりたいのだ」という気持ち?





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