立春が一年の始まり*今日からが私のお正月
2月4日は立春で、2月10日は旧暦のお正月だ。
春の訪れを意識するこの気持ちが、
なんとなく、ちゃんとしたお正月に近い気がする。
毎年、あたふたと年の瀬をなんとか迎えて、
時にはバタンキューで(やっと休める~)と迎えるお正月。
氏神さまにお詣りしたり、お正月のお膳を神さまに用意する以外は、
ボーッと過ごしているのが例年の繰り返し。
今年はボーッとしてたら、夕方のニュースに目を覚ましたけれど。
1日、「能登半島地震復旧・復興支援本部」の初会合で、
岸田首相は被災者支援として、新たな制度により、
高齢者がいる世帯には最大600万円の支給が可能になると発表した。
私は人間が出来ていないので、
つい(羨ましい・・・)と口について出てしまい、我ながら驚く。
すみません。。。
3.11は被災規模や被災者が多いから、仕方がないことは分かっている。
保険金も満額なんて出なかったし、
いや、1/2だったので、1/4しか出ない人に比べれば恵まれてる。
親戚はようやく二重ローンの先も見えてきた。
過ぎ去ったことではないか、と呼吸を整えなおす。
支援金、義援金分配のことを思うと、
どうしても思い出してしまうあれこれもある。
災害時に地区の人達が大変だったので、彼のお宅では、
都合500万円ほどの金額を、回りの人達のために使ったという。
必要なものだらけで、
持っている人がいろんなものを提供する必要があった。
日にちが経ち、行政が動き、落ち着き始めた頃に、
彼は人知れず、虚しさを胸に深く落とし込む必要が出てきた。
例えばどんな立派なお宅でも、廃墟同然のお宅でも、
被災した限りはそれなりの支援金がいただけることになった時、
彼の自宅の一歩手前で波は止まったので、支援金は1円も出ない。
それなのに、まとまったお金を手にして、
風俗に通う者もいれば、必要のなさそうな車を買う者も出てくる。
お金が欲しい訳ではないし、延々と感謝を述べて欲しい訳ではないが、
そういう一部の人と自分の「被災者ではないとされた」境遇を比べて、
その虚しさを、どのように処理していいのか分からないと話した。
彼の父や母の気持ちも想像してしまうのだという。
災害は、心の分断を招く辛さがある。
その建物が被災すれば、上層階で被害のないお宅でも支援金が出た。
何が被災にあたるのかどうか、難しい線引きもあるのだろう。
「被災者は、なんでもいろんなものをあれこれ貰うのよ」と
同級生に、ひそひそ声で話されたこともあった。
途中で私も被災者だと気づいて、小さく「あっ」と声を上げた。
(着物一枚どころか、足袋のひとつもないのに、何が羨ましいのか)
(仕事、仕事で何か貰えるところに並んでる暇なんかないのに)
心の中で悪態を付いた。
別の同級生には、
「誰かうちの自宅買いたい人知らない?」と、開口一番言われた。
引っ越したいというのは噂で聞いたが、魅力ある物件には思えなかった。
足元を見るってこういうことなんだな、と思った。
「それで今は大丈夫なの?みんな元気?」
人の親なら、そんな風に尋ねてもバチはあたらないと思うんだけどな。
みなそれぞれの生活が一番大事だ。
前出の彼が「なんのために頑張ったのか」と虚しく思う気持ちに、
どうやって折り合いをつけたのか分からない。
「絶対この先にいいこともありますよ」と励ますしかなかった。
それなのに、昨年まだ若くして亡くなってしまった。
彼の代わりに、その知らない誰かの悪口を言ってあげれば良かった。
「あんな奴らを助けるために、なんのために頑張ったのか」って、
言わせるような会話を、なんで引き出したんだろう。
私の方が年上なのに、ごめんなさいと心から思う。
どうか足並み揃えて、復旧に立ち向かえますように。
支援の輪からこぼれ落ちる人がいませんように。
報われない思いを抱く支援者が出ませんように。
今年は、謙虚な気持ちでつつましく、星に涙する鳥のように暮らします。
新しい一年の、ちゃんとした抱負。
花の種じゃなくて、苗を買ってもいいですか?あなたのサポートで世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡