#18 iPhoneの読み上げ機能で電子書籍を聴く(聴書):私の読書法

一般的な基準を知らないけれど、自分の「聴覚(聴力ではない)」が、おそらく他の人よりも良いみたいだと感じ始めたのは数年前。iPhoneの読み上げ機能を知って使いだしたころだ。
いつも聞いている「読み上げ速度」を紹介すると、他の人は聞き取れない(というか理解が追い付かない)というのだから、音声を処理する能力は高いのだろうなと認識した。逆に目で読む速度は人並かそれより遅いかもしれない。脳内で自動音声化されて音声で認識しているから、視覚→理解というよりは、視覚→音声→音声による理解なのだ。だから、「頭の中で音読するな」という類の速読術は諦めた(昔は、あこがれてノウハウ本を何冊も読んだのだけれど)

これに気づいてから、よく使うのが電子書籍×iphoneの読み上げ機能で聞く(聴書と呼んでいる)。
聴書だったら、歩いたり、家のことをしながらでも、一日数冊読めるし、それなりに楽しめる。何回も聴くのも苦ではないので意義深いと思う本は数回聞く。数回聞いたものは覚えようと思えば、中身も結構覚えられる。電子書籍は、セールやクーポンなどでかなり安く手に入れられる(70%OFFとか、100円とか)。安く買える時に、気になったタイトルを何十冊も買って ストックしておく(それでも数千円)。そういう面でもコスパはかなり良い。過去には年間450冊近く読んだ/聴いたこともある。

ただ、そうしてたくさん読んだ結果、本を読む良さは”コスパ”ではないと思い至り、紙の本に回帰した。軽い読み物や内容の確認だけしておきたいビジネス書や話題書くらいで、それ以外の本は、できるだけ紙の本で読みたいと思っている。それゆえ1500冊ある電子書籍ではほとんど積みあがっていない積読が物理的に積みあがっていくのだけれど。

紙の本を読む良さは、その能動性、「文」と「文」の間に自分で作り出す”余白”にあると思う。聴書はあくまでも受動的な読書だ。受動的な読書には”余白”を入れ込む要素がない。”余白”は、一文もしくは一段落読んで、あれこれ考える。思いを巡らせる…そういう瞬間にできる。それは、音声が流れていく聴書では難しい。
読書を単なる情報収集や映画やドラマなどの映像作品と同じと位置付けるときは受動的な読書で十分だ。実際小説を読み上げさせていると、ラジオドラマみたいだと思う。もちろん、映画やドラマでも感動できる。紙で読むと決める本には、これらを超える何かを求めているのである。

どちらが良いとか悪いという話ではない。何をメリットとしてとらえるか。うまく使い分けていけばいいし、今後もそうしていきたい。


聴書で聴いた本の話を書くつもりが、また違う方向になってしまったので、そちらはまた次回以降。

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