私的曲解!理解お兄さん

な、なんだって〜〜〜!?
理解お兄さんがブレイクしそうだって〜〜〜!?

そんなのもう……


毎月毎月ブレイクされるこっちの身にもなってくれよォ〜〜!!! こちとら毎度身体中の感動と興奮根こそぎ持ってかれるから体力消耗激しいんだよ〜〜〜!!!
しかもまだお兄さんと依央利が残ってるって……なんなんですか? ショートケーキのイチゴは最後に食べる派なんですか? フルーツケーキにはフルーツしか乗ってないって? それもそうか。

実を言うとわたし理解お兄さんのこと相当恣意的に解釈してて……いや解釈という言葉をみだりに使うことは危険なんですけれども……恣意的に捉えていて……
自分の中での認識が公式さんが形成してくれた方向と若干ずれてるなというのもわかってて……でも頭の数だけ生まれるストーリーだし公式じゃないとわかってやってるんだから別によくない?ダメ?なんで?

ということでブレイク前にわたしの中の理解お兄さんをちょっとだけ整理したいと思います。

※タイトルが「奇跡体験!アンビリバボー」みたいになったのは偶然です。奇跡体験!


1stシーズン所感

物語の方向性と逆方向へ突き進む人

1stシーズン一気見からの凡人ことわたし、一気見中の理解お兄さんへのイメージは「まっすぐゆえに愚か」でした。
いやこの……日常にはびこる正しさゆえの愚かさをこんなにさらりとそして残酷に描くのアリなんですか!?(モハメド) という感じで……

「あなたの言っていることは確かに正しい(理にかなっている)んだけど、実際に行うとなると話が違うんだよね」っていうのはわたしたちの日常におけるあるある。漫画やドラマでは悪役だったりそのボスであったり、とにかくいけ好かない役柄であることが多い。

のにも関わらずこの作品は明確な悪役も仲間サイドも定義されないままなんか正義を説きまくる奴がいる
それでいて一つ屋根の下で一緒に暮らしている。よく捉えれば「味方」だけれど、悪く捉えれば「距離を取れない」ということでもあって。
強制的にさらされる理想主義。相手の状況を勝手に推し量って自分の中の「状況類型」に当てはめてわかった気になって、自分から見ての「解決策」を押しつける。悪意は少しもないところたちが悪い。

そう、この作品って明確な悪役がいないんですよ。2ndの総右衛門たちは敵役に値するけど、少なくとも1stの段階では、そしてハウスの人間のうちでは、誰が悪いやつとか誰がいいやつとかいう定義は一切なかった。
そこにあるのは全て「現象」、あの家における純粋な「事実」であって、それに対する作品側からの敵味方の判断は入り込まなかった。だから理解お兄さんの行動を見てわたし(たち)が「うわー!」と思っても、その行動に明確な善悪判断はつけられない、というかそれ自体に重きは置かれていないというか。

「それはいい/悪い」と判断するのは個々であって、演繹元となる絶対的真理があるわけではない……という前提で成り立つ「枠組み」の中、さてお兄さんにと立ち返ってみると。
めちゃくちゃ演繹タイプのキャラでェ
その矛盾、あえてやってるってことはたぶんなにかがあるんですよ。 

お兄さんは自分の中にある規範をそれそのまま「世間の規範」と信じているけどそんなことはなくて。というか物語自体が「そんなことはない」と話しかけていて。お兄さんが自分の信じる正義を「自分がそう思っているだけなんだ」と真に実感してしまったとき、果たして彼は無事でいられるだろうか……。

白一色のダイアリー

理解お兄さんは真っ白な日記をつけていて、それは「自分は今日も間違わなかった」という証、らしいのだけれど……つまりそれは自らの潔白性の見える化であって。
[私は今日も間違わなかった。←なぜならこの日記にはなにも書かれていないのだから。]
→[ゆえに私はなにも間違ったことがない。なにも間違っていない。]
[だから私の言うことに従っていればみな正しくなるのだ。]

I'll do the right thing all the time
I'll do the right thing forever

『秩序宣言』より

白一色の日記帳を見ることによって、自分の中の規範を再確認することができる。自分の正しさに対する信憑性が揺らいだ日にも、これさえ見ればそんな「誤謬」を頭から振り払うことができる。
ただここで注意したいのは、この証明においては理解の中での規範と一般世間での規範との間にどのような関係があるか全く示されていないこと、ここでの「規範」は彼の主観的なものにすぎないこと。
ということは日記帳の潔白証明は客観的には効力がない。自己を成り立たせるための暗示道具にすぎない。

そういえば理解お兄さんの日記帳って、話には出てきたけど実物出てきましたっけ? 記憶が……(原作を参照しましょう)
真面目なお兄さんのことだから、誰かと上手くコミュニケーションをとれなかったり真意が読めなかったりしたときには必ず自分の中で「反省」しているはずで、現に作中でもその成果がたびたび発揮されるわけで。大瀬とか天彦とかに対して、今日はこんな感じだったから次はこうしてみよう、という思いは必ずあるはずで。
普通に考えればそんな日にはあの日記帳に書き込むはずであって。

【日記帳は本当に「真っ白」なのか?】
・他の人には「真っ白だ」と言っているが実は書き込みがある/書き込み始めた
・書き込んだ部分のページを都度破り捨てている
・なにがあった日も「あれは反省点ではない、私は正しい」と思い直し書き込まなかった

3つ目な気がする……いつも「私は正しい」と言うからには絶対的な拠り所となるなにかを抱えていると思うので……
『カリスマ』は関係性や内面の「変化」も魅力の一つなのでそこをとれば1つ目や2つ目も十分ありえます ところでこの作品が他と違ってキャラ設定を固定しない(流動性を持たせている)のって「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」ってことなんですか?

いやどっちも好きというかどっちも期待してしまうというか、心がふたつある〜……

【追記】
『インタビュー 理解』を観直したところ、こういう表現でした。

まあそんなのあるわけないから毎日ほぼ白紙で終わるんですけど。

#44 『インタビュー 理解』より

なんか書いてる? こまごましたことかな。真面目だし。でもこまごましたことだったら大きな出来事があった日には「ほぼ白紙」じゃ済まないだろうし……複合事象の香り?

ブレイク

理解お兄さんってブレイク一番槍だったじゃないですか。わたしたちといちばん付き合いの長いブレイク姿じゃないですか。それでいてスタンス自体は基本ブレていないのでもはやわたしは彼が「新しくブレイクする」というイメージすら湧かなくなっていて……例えるならずっと初期衣装で配信していたVTuberの新衣装が決まった感じで……
なにが来ても卒倒する自信がある たすけてください。

ブレイク一番槍、ソロ曲一番乗り、それが我らの理解お兄さん。
忘れもしませぬ、あれはまだ拙僧が凡人ではなくしがない受験生だったころ。4月に『秩序宣言』がYouTubeの「あなたへのおすすめ」に出てきたと思ったら眼鏡キャラに目がない友人からアツい布教をされたあの日。あの頃は10万再生くらいでしたね。今や100万だそうです。そんなばかな。

よく考えたら初ソロ曲が3ヶ月で10万いくのも結構すごいじゃないの。


「カリスマブレイク」とはなにか ※個人の考え

ブレイクというイベント全体についての話なんですけど、1stと2ndとでは対象範囲が違うと思うんですよ。なんて言ったらいいかわからないんですが……自分を中心にして考えたとき、1stの段階では自分の中にしか目が向かなかったものが、2ndでは外の世界(他者の世界)まで視点を広げた上で自分を考え直しているというか。

点線矢印が1st、実線矢印が2ndの視野。

即席で申し訳ないですがこんな感じのことが言いたいのです

個人的な見解なのですが、
1stブレイク(曲)はその人の「現状」を描いていると思います。現在地、今の自分自身。
これについてはわたしがニーチェの「超人に至る3段階」をブレイクシステムに重ねて見ているのがひとつの原因なんですけれども。

簡単に説明すると、
①既成観念の受け入れ:駱駝のように忍従せよ
②既成観念への反抗:獅子のように闘争せよ
己自身の世界を獲得する:幼子のように自由に遊び創造せよ

この3つを経ることで人は「超人」になれます。超人といってもスーパースターではなくて、「この世は苦しみしかなくかつどうやっても終わらない」ということを受け入れてなお強く生きる人 のこと。

①の「既成観念の受け入れ」を「(内面的に)既に形成されている"自分自身"とその思考規範の受け入れ」としたら、なんかそれっぽく読めなくもないというか。
彼らがあの家に来る前までに作り上げてきた、既に持っていたもの。価値観や判断基準。そうしたものの表明、確認と考えると1stブレイクでの彼らがなぜこうした姿や曲なのかというのがより……刺さるというか(説明を諦める図)

秩序宣言

これを踏まえて『秩序宣言』に立ち返ってみると ほら ほら〜……

アイデアロールどうぞ……

Make "losers"

お恥ずかしながらわたくし、1stブレイク曲の中でいちばん馴染みが薄いのが『秩序宣言』で。最初おすすめされたときも結局聴かなかったし、ブレイク回を観たときもまだフルを聴くほど作品に入れ込んでいなかったときだったし。エキスポ配信で初めてフルを聴いたし、MVを視聴したのもソロ7曲のうちでいちばん最後だし。

だからこの曲のしっかりとした歌詞を長らく知らないままでいました。
2ndのブレイククールに入って初めてはっきり文字で読んだのですが……

Make rules & keep Order!

『秩序宣言』より

これ "Make rules & keep Order!" って言ってたの!?!?
"Make losers, keep Order!" だと思ってたんですけど!?!?

でも「そういう側面」も少なからずあったんだろうな、と勝手に解釈していまして……
彼の信じる正義は「絶対的に正しい」もの。彼にとっては、だけれど。だからその「正しさ」と他の人間とが対面するとき、そこには必ず「どちらがより優れているか」という比較が発生する。そして彼にとっては、勝者はいつだって自分の側です。絶対的に正しいからね。(演繹)

だが 悲しいことにその是正は
争いや暴力などで強行的に成されてきてしまった

『秩序宣言』より

ここの主張があるので、単純に考えれば確かに "Make rules" のほうが合ってるんですよね。「無秩序が生み出した過ち(+それが結果するところの不平等)」を是正するために「ルールによる統治」を目指す。
それはごく平和的な解決方法。ルールさえ守っていれば秩序は乱れないから。でもその「平和の道」が実現していないことを理解は憂いている。争い、暴力、そうした「非・平和的解決」は望ましくないものだと主張する……ように見える、この時点では。

でも1stブレイク理解はこう続けました。それは主張内容を大きくひっくり返すもの。

なぜならば 秩序を守らぬ愚か者が存在するからだ

『秩序宣言』より

無秩序は過ちと不平等を生み出した。
 ↓ 是正しよう
ルールを作り統治する。(平和的解決)
 ↓ 守らない人間=愚か者がいる
争いや暴力での解決。(強行的解決)

これまでの理解の言動を見ていればお分かりのはず。「愚か者」に類する言葉は彼が自分以外に対して向ける言葉。
そしてそれは、外部の声に蓋をし自らの正当性を主張するときの常套句

まあ確かに私は幼い頃から周りに「固すぎる」「融通が利かない」「ウザい」とさんざん言われてきましたけど。
まあ、愚か者たちの戯言だから全然気にしてないけど。

#3『秩序』より

理解のロジックは「愚か者の言うことはその反対が正解」になっていると理解できる。
つまり。ルールを守らない愚か者がいるなら、それを制圧するためには争いや暴力はやむなし……(強行的解決容認)というのが『秩序宣言』の真意なのではないでしょうか。
"Make rules" はその前提、いわば前段階にすぎないのであって、ここで歌っているのはむしろ "Make losers" のほうなのでは?

「諸君は混沌を許していいのか~」あたりは本当に「力による統治」のことを歌って……いるのかな本当に? 「規律を犯す者には裁きが下る」のは法律と罪罰の関係だし。でもそれをメタファーにして強行的な秩序維持を書いているようにも取れるし。なんだこの曲。ソロ曲1曲目からこれってなんなんだ。

私は 決して悪に屈することはない!
ルールのみが規範であり より正しきが生き残るのだ!

『秩序宣言』より

「生き残る」ってことは生き残らないほうがいるってことで。勝者と敗者が決まる、いや理解の側としては「決める」ということで。(だって彼の「正しさ」の権能は実際のところ秩序や法ではなく彼が握っているのだから)

つまり(というほど目新しい見解ではないですが再確認として)理解は「正しさ」のことを「唯一無二」だと思っていて、それに対抗する考えが出てきたら戦わなければならないと思っている

真実一路、そはほんまか?

ここでちょっと議論の基盤を確かにしておきたいのですが「正しさ」って絶対的な一つの概念ではないとわたしは思っています。世界は「正義」と「悪」なんてわかりやすい二項対立ではできていなくって、実際のところどれも正義と正義のぶつかり合い。誰もが自分は正しいと思っていて、それゆえに無意識に他者を迫害したりエゴ感情を正当化したりする。(※BGM ふみやが理屈をこねているときの曲)一方でその中にも「誰もが正しいと思うこと/誰もが間違っていると思うこと」が存在するという考えもあって、利益や効率を尊重してその領域を侵害したときに人はなんかイヤ~な感じを覚える。二酸化炭素の排出量を減らすため、手始めに人間を100万人殺そう、はいイヤ~。その「共通項」に倫理という名前をつけるなどする。それが実在するかはまた疑問ではあるんですが

「絶対的な正しさは存在する!」
という前提の下には「それを元にした証明」が可能です。その考えの一つがヘーゲルの弁証法であって、テーゼとアンチテーゼをぶつけることでよりよい結論:ジンテーゼを得られる。ジンテーゼにアンチテーゼをぶつけ、さらによい結論を得る。そうして世界はimproveしていく。
一体なにを目指してのimproveか?
完全無欠の秩序の宇宙なんです、これが……。

絶対精神」とは、すべての存在や現象、歴史などが弁証法運動を繰り返した先にある、最終的な存在を指します。

ヘーゲルは、この世界の全てのもの(人、物、考え方、歴史など)は、絶対精神に向かって弁証法運動を無限に繰り返していると主張しました。

「ヘーゲルの思想を分かりやすく解説!弁証法とは?絶対精神とは?」より

お兄さんはヘーゲル主義者なのカナ!?!?

さすがにそれは妄想ほとばしりすぎなのでご冗談ということで……
でもちょっと待って、と。絶対精神、つまり弁証法の導く完璧な秩序の世界というのはあくまでも「弁証法の導く」もの。つまり「ある意見(自分の意見)と反対意見とを戦わせてよりよい意見を生み出す」ものであって「よりよい意見が生き残る」ものではない。勝者を生き残らせる「正義のバトロワ」のことではない。

白黒はっきりつけるんじゃなく、白でも黒でもないグレーの答えを導くこともままある、むしろそれが一般的な「ジンテーゼ」。
対して『秩序宣言』のMVは白と黒のチェス駒とチェス盤をモチーフにしている上、よく見ると駒の種類と色とは明確に分けられている。おおグロし。ポーンは白、役ありは黒! 整列するのは白のポーンに黒のキングとクイーンのみ!

そう、お兄さんは絶対精神の世界へ至る(ヘーゲル的)プロセスすら辿っていない。これでは真の「秩序」を手に入れられるか怪しい。
加えてヘーゲルの思想の批判に「絶対精神にたどり着いたら一つの規範に皆が縛られ無個性な社会が生まれるのでは?」というのもあるし。絶対精神は "improve" が前提だけれど、人間は常に進歩していくものではないし。誰もが納得することなんて、本当はないのかもしれないし。

それじゃ、お兄さんは間違っているのか? お兄さんのように理想を追うことは全くの無駄なのか?

否!

グレーのあなたへ

それでも理想を追うこと

恋愛によってより強く生きるものがあるように、失恋によってより強く成るものもある。むしろ逆境こそ生命の光栄だという高い誇りが『友情』の示す最後の言葉だ。

武者小路実篤『友情』解説より

理想を追うということは一見簡単そうに思えるけれど、実際そうはいかない。真に「正しいこと」を追求しようとするならば、自らの中に形成した規範の外側にそれを探しに出なくてはならない。
外側にあるものをただ「精神の糜爛」「堕落」と排斥するのではなく、ときにはその有用性や道理を理解しなくてはならない。

自分が築き上げこれまで信じてきた規範が実は「間違い」だったのでは、ということに直面するかもしれない。
それほどまでに苦しみ、また自らの生きる方法論が揺らいでなお、理想を追い求める意味なんてあるのか?

ああ、それでも「正しいこと」は存在せねばならない。

一方でその中にも「誰もが正しいと思うこと/誰もが間違っていると思うこと」が存在するという考えもあって、利益や効率を尊重してその領域を侵害したときに人はなんかイヤ~な感じを覚える。二酸化炭素の排出量を減らすため、手始めに人間を100万人殺そう、はいイヤ~。その「共通項」に倫理という名前をつけるなどする。

このnoteのちょっと前のあたり

それは例えば倫理のこと。
理にかなっていてもなんとなくイヤなこと。なんとなく「やっちゃいけない」ようなこと。(万人が納得する)絶対的なルールとして制定するのは難しいけれど、諫めてくれる誰かがいたら自他ともに喜べるもの。

それすら実在は不明。でも「あってほしい」とは思う。この混沌の世界には、その「あってほしい」を「ある」と言ってくれる人だって必要だ
人それぞれの正義がひしめく中、そこに共通の「正しさ」があるという正義もまた容認されるべきだ。それが多様性ってもんじゃないかとわたしは思います(話がでかい!)

わたし個人の話ですが、わたしはソクラテスやカントが言うような「必ず正しいこと」が存在するとは思っていません。それは前セクションの頭に書いた通り。
でもそうした考えに意味がないとは決して思っていません。むしろ必要だと思っています。うまく言えないけれど……理想主義にはそれ特有の気高さがあって、それは確かに草薙理解の胸にも見えるということです。

CBAの理解がまなざす未来

さて、ここまで来たところで一旦「ブレイク」セクションの話の続きをしたいと思います。

1stブレイク(曲)はその人の「現状」を描いていると思います。現在地、今の自分自身。

これについてはわたしがニーチェの「超人に至る3段階」をブレイクシステムに重ねて見ているのがひとつの原因なんですけれども。

①既成観念の受け入れ:駱駝のように忍従せよ
②既成観念への反抗:獅子のように闘争せよ
己自身の世界を獲得する:幼子のように自由に遊び創造せよ

①の「既成観念の受け入れ」を「(内面的に)既に形成されている"自分自身"とその思考規範の受け入れ」としたら、なんかそれっぽく読めなくもないというか。

このnoteのちょっと前のあたり

さきほどは1stブレイクについて話しましたので、ここでは2ndブレイクについての個人の見解をば……。

1stブレイクが①なら、2ndブレイクは②といえるはず。
②は「既成観念への反抗」。1stの解釈を踏まえると「既成観念」=「(内面的に)既に形成されている"自分自身"とその思考規範」のことであるため、2ndブレイクはその見直しに当たると思います。

自分がこれまで信じてきた「信条」。でもそれは本当に信じられるものなのか?
疑って、悩んで、瓦解して。その先に新たな自分の設計図が浮かぶ。これまでの自分とはちょっと違う、でもそれは確かに自分自身で。

じゃあ理解お兄さんにとってこの危機の向こうにある「新たな自分」とはなんなのかな、と思ったときに、『Charisma Battle Anthem』の歌詞が浮かびました。

異なる正義 従える殺さず

『Charisma Battle Anthem』より

異なる正義、従える、殺さず……!?!?

「正しさ」って絶対的な一つの概念ではないとわたしは思っています。世界は「正義」と「悪」なんてわかりやすい二項対立ではできていなくって、実際のところどれも正義と正義のぶつかり合い。誰もが自分は正しいと思っていて、それゆえに無意識に他者を迫害したりエゴ感情を正当化したりする。

このnoteのちょっと前のあたり

「正義は唯一」だと思っているはずの理解の口から「異なる正義」という言葉が! 二項対立のみを規範とする「視点の一元論」からの脱却!
そしてその多様さを受け入れたうえで「従える」しかも「殺さず」

秩序だ……。

そう。理解お兄さんには、彼の理想を実現するに足るポテンシャルが確かにあると思うんです。あなたには他者を理解する才能がある。そして逆境の中でも、多様な正義がひしめく海の中でもなお人々を導ける強さがある。
だってあなたには「理解」の名が与えられている。白でも黒でもなく「グレー」の色を与えられている。白と黒の二元論を超え、全てを理解したうえで「理想」をもってたしなめる。
その世界への切符は、はじめからあなたの手の中にあった。

CBAは彼らが2ndで到達する(した)境地について歌っている、と私は勝手に思っています。実際に彼の未来にどのような結末が待っているかはわからないけれど、彼にとって素晴らしいものであればいいなあ、というその「素晴らしい」の一例を見せてくれている気がします。無限に食べられるこれ

そこの不正の見学者
しかと見極めろ善か悪か

『Charisma Battle Anthem』より

ここもすき これまで自分にのみあった善悪判断権を他者の目に委ねていて
わたしなんかはもう親指立てながら溶鉱炉に沈むほかない

2ndブレイクこわい(饅頭こわい)

おまけ

お兄さんは異性を含め他の人間に"完全無欠"を期待するゆえに、自分を好いてくれたり仲良くしようとしたりする人がいてもそれすらシャットアウトしてしまっていたのではないか?

97話で、お兄さんはいろいろな関係性においてそれぞれに一つの「正解」を持っていて、それに落とし込むようにして関係性を築いているというのがわかってしまって……。

大瀬へのまなざしもそう、これを踏まえて立ち返ると『夏祭り』での猿ちゃんへのまなざしもそう。『ふしだらの与一』での恋愛観もあるいはそう。「友達」はこういう関係である、「恋人」はこういう関係である。頭の中で辞書引きのように意味を固めて、それ以外を認めないゆえに他者と齟齬が生まれる。

どうしていいかわからなくて。なんか、これじゃあまるで私たち、と、友達、のようで……。

#72 『夏祭り』より

それ以外を認めないというか、それ以外を知らないというか。言葉と実態を意味で繋げた結果、「自分と彼の関係はこういうもの」という意識が「彼はこういう人」とその人自身の属性にまで遡及してしまうというか。

でももう彼は、理解お兄さんはそれを「シャットアウト」などできなくなっている。相手がハウスのみんなだから。愛したい。守りたい。そして知りたい。その気持ちは本物で、だからこそ非情になれない。扉を閉めて我関せず、そうすれば無事でいられたのに。彼はそうしなかった。

その逃走の裏には愛がある。興味がある。耐えられないと思うのは、愛してみたかったから。
彼の恋愛の不器用さも、実はそういうものが根底にあったのかもしれない。知らんけど。

いつか素敵な愛を見つけられるといいね。
それは別に恋愛に限った話じゃなくて。


おわりに

96話の公開からずっと書き続けてきたのにもうブレイク(仮)当日の朝って……
急ぎすぎて97話のリンク貼れませんでしたとほほ 最後のあたり駆け足になっちゃったのであとで修正しますね
(※追記 修正しました。97話のリンクも貼りました)

未だに全然実感がない。お兄さんが……ブレイク? 口にするだけでなんだかどきどきしてしまいます。それはここにこれまでの感情をまとめたばかりだからかも。

なんだかんだ書いてきましたがこれは全部オタクの邪推。公式に表れているものが全てなのでここでの話と全く違う展開のブレイクになったとしてもそれは彼のことをもっと知れたということ。わたしもまた、あなたに興味がある。あなたをシャットアウトしたくないから、あなたを見ている。
そのブレイクがあなたをより素敵なものにしてくれるのなら、それだけで十分。そしてそれはもう保証されているようなもので。

理解、あなたの行く末に幸多からんことを。
そして必要なときにはソクラテスやカントのように、道を踏み外すわたしの手を強く引いてください。


☆追記:ブレイク後
「最高」っていう死因あるんですね

ブレイク感想はいずれ必ず書きます!!
ガッデム私生活!!!!

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