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"作例"は単純なものでいいのではないか

色々なカメラやレンズを調べていると必ず参考にするのが”作例”でしょう。これは「このカメラはこんな風に撮れますよ」、「このレンズはこんな風に写りますよ」といった指標になるものですが、私が最近思うことはRAW現像したものを”作例”にするのはありなのかということです。

私の個人的な意見としては、純粋にそのカメラ、あるいはレンズから出てくる絵であってほしいと思うのです。ボディもレンズも会社が変わればたとえ似たような性能であっても全然違うものになりますし、同じ会社でも世代が変われば見違えることもあります。

こうした「各社ごとの差」のなかで私が最も重要だと考えているのは、各社ごとの色作りです。メーカーが考えた色作りにはそれぞれの”思想”がよく反映されている部分であると私は思います。一眼レフ時代からミラーレス時代になり、その変遷の過程で「〇〇のカメラは〇〇色によく被る」といったとは減っているとはいえ、それでもよく出ている会社はよく出ています。

カメラ、レンズを選ぶというのはある意味でその会社の”思想”に自分が共感できるかどうかではないのでしょうか。いくらRAW現像をした、いわゆる「作品作り」をしようとも、結局のところベースはメーカーの色なのです。ですので自分の写真に対する”思想”とメーカーの”思想”との相性がある程度必要であり、それが分かりやすいのが色であると思うのです。もし色の面で相性が完璧なのであれば、もしかするとRAW現像は必要なくJPEG撮って出しだけでいけるでしょう。言い過ぎかもしれませんが、それほどに重要なことであると私は考えています。

そうした一種の役割をもった”作例”にRAW現像は果たして本当に必要でしょうか。RAW現像をしてしまっては撮り手の好みが反映された写真になってしまいます。また、周辺減光や軸上色収差などの高額性能上の粗というのも買う前に理解しておかないといけない事柄です。作例は単純に撮って出しそのものでいいのではないでしょうか。


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