お金の切れ目が縁の切れめとはこのこと。
冷静に考えたら、おかしいじゃん?ってことを幼少期は、ただただ言うことを聞かないと、怒られる。叩かれる。無視される。が怖くて自分を守るためにたくさんの嘘を重ねて、たくさん泣いて生きていた気がします。
エホバの証人は喫煙は禁止されていたけど、内緒で母が吸ってるのをわたしは知っていたし、父は母が学生時代から吸っていたことを知っていたし。
矛盾だらけだったのに。タバコを吸ってる母の姿を見て、見てはいけないものを見た気がしてずっと黙ってた。他にも色々。親の気持ち悪いことを色々見てしまったけど、黙ってた。
なのに、わたしには嘘もだめ。親に意見するのもだめ。
アホらしい。と、今だから思える。
最近エホバの証人は、タブレットを使って集会とか奉仕とかするみたいで
そのタブレットは実費なんです。かなかなの金額。まぁそれはいいけど、わたしが「でも分割みたいに毎月の通信費と一緒に払うっていうてもあるんだよ」って言ったら「聖書では無駄な借金はしちゃだめって書いてる」とちょっとキレ気味で言ってきました。
は?
「エホバのことなら無駄じゃないんじゃないの?」って言ったら「それでも、分割は借金でしょう?」って。
はぁ。
そもそも贅沢は敵だって感じで「欲しがりません。終わりが来るまでは」みたいな精神なのにタブレットを2.3台使いこなさなきゃ集会も付いていけないって・・・。
そういう時はタブレットを貸し出ししてると思うんですが・・・。
挙句に「エホバの証人はお金持ちじゃないとできない」とわたしに言ってきました。
贅沢は敵で、お金を欲しがるのは卑しいみたいな感じなのに「みんな平等に愛してくれる神」が聞いて泣くわ。と思いました。お金ないと愛してもらえるスタートラインにも立てないんかい。って。
それを聞いてて、母が本当に可哀想な人だなって思えました。
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