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帰れない国の代りに~「リトル・トーキョー」に(勝手に)寄せて

帰りたくて帰れなくて 帰る先を失くしたら
帰りたさの欠片のような 小さな場所をつくりましょう

「リトル・トーキョー」中島みゆき

言葉の実験劇場》と銘打った、コンサートでも・演劇でもないステージ《夜会》というものがある。お察しの通り、中島みゆきによるものだ。
脚本・作詞・作曲・歌・主演と、すべて中島みゆき自身がこなす、世界にも類を見ない存在の《夜会》。
《夜会》の詳細や歴史はここでは割愛するが、2019年に東京は「赤坂ACTシアター」で開催された「夜会Vol.20  リトル・トーキョー」の三回目公演に、私も居た。
みゆきの世界の、ほんのちょぴっとのところにお邪魔させていただき、やはり感動したわけである(「感動」という二文字には表しきれない!)。

さて。
近ごろ、ふと思い出したように、件の「夜会Vol.20 リトル・トーキョー」のDVDを観るようになった。生みゆき!の当時は、台詞の一言一句を聞き逃すまいという気合で、俯瞰して観ることはできなかった「リトル・トーキョー」。
ステージの内容については、これは観ていただくことがいちばんと思うのでこちらも内容説明は割愛するわけだが
当記事の冒頭に引用した《詞》は「リトル・トーキョー」劇中歌の、劇名そのものの楽曲である。

リトル・トーキョー。すなわち、小さな・東京。
言ってみれば、「日本国外に在る、日本人街」を意味する(類義語:チャイナ・タウン=中華街)言葉だ。
《帰りたくて・帰れなくて・帰る先をなくした》邦人が《(故郷の日本に対する)帰りたさの欠片のような「日本人街」を作らんとす》意味であると、私は解釈している。

※あくまでも歌詞の解釈は人それぞれという前提の上「私の解釈」である。ちなみに「夜会」としてのストーリーは、こんなに単純な話ではない(笑)。

ほんでもってね。
私、いまね。
とっても、ね。
その気持ち、わかっちゃうのよん。

だって、私のお店も、そうなんだもーん。
《帰りたさの欠片のような小さな場所》って、
うちのことーーーーーーーー?????

いや、私はこの町に生まれた、この町育ちの、純粋な故郷人ですけれどもね。
やっぱし《住み心地がよかった街》というものも、ここではない何処かに、それなりにあったわけなんです。
その「街」から、この「町」に帰ってきて、始めたお店が今の「小さな場所」なんだけどネ。

くふふふふ。
この「町」も大好きなんだけどさ(森高千里かよっ)。
《帰りたさの欠片》みたいなものは、ずっと持っていたいなあ、なんて。思っちゃうわけだ。


当分は、この「町」にいるんだけどネ。
リトル・〇〇〇。

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