マイ・セクシュアリティについて


私の性自認は男性です。
生まれも、身体も女性です。
恋愛対象も男性ですが、要するにそれはゲイということです。


私には「雄然」というもう一つの名前があります。
自分の生まれながらの名前が昔から嫌いだったので、母親に新たに付け直してもらった名前です。
前の会社では、有難いことにビジネスネームとして本社に受け入れてもらい、男性社員の「雄然」として仕事をしていました。

髪を耳の上まで切り、「男性らしさ」に執拗に拘っていた時期もありましたが、それは結局は社会のしがらみに縛られていただけです。

私はロン毛の男性が大好きで、憧れがあったので、髪を今は伸ばしています。女性向けのファッションや、可愛いものも好きなので、たまには化粧もするし、スカートも履きます。周りから見たらただの女性にしか見えないと思います。

私の近しい存在で、私の性自認を知らされて理解を示してくれている家族でも、私のことを「娘」・「妹」と捉えていると思います。親しい友人であっても、本名の女性名にちゃん付けで私のことを呼びますが、それを私は気にしません。私のことを何だと思い、どう扱うのかは人の自由だからです。

私以外の誰が何と言おうと、何と思おうと、私の性自認は男性で、それは揺るぎません。中身だけ取り出せば、女装癖のあるゲイです。

なぜ女性の身体で生きていくことを選んでいるのかといえば、それは私にとって一部ラッキーな側面があるからです。心の底では、恋愛をするにあたって、「男性同士として愛し合いたい」という願望はありますが、男性(の内の多数派)と恋愛ができるのは、私の身体が女性だからに他なりません。厳しく言うのなら「甘え」なのかもしれませんが、私はそれを幸運と捉えることにしています。

カミングアウトにより、失った人間関係もありました。そのことを恐れて、セクシュアリティの問題から目を背けていた時期もありました。ですが私の中での今の解釈は、「私の大事な人たちが私のことを否定しないのなら、私は私のままだ」
逆に言えば、「私が私でいるために、私のことを否定しない人のことを大切にして生きていく」ことにしています。
ここで強調しておきたいのが、否定さえされなければ、どんな解釈をされても構わないという点です。

今の夫が私に言ってくれたことです。
「あなたが男だったとしても、好きになっていたと思うよ。だってあなただから。」
夫のセクシュアリティについて私は知りません。ですが夫は軽々しく無責任なことを発言できる人間ではありません。勇気がなかったら言えない発言だったと思います。このような配偶者に出会えたことを私はとても幸福に思います。

「そうなんだったら、尚更男に生まれていればよかった…最初から男同士として愛し合えたら」とまで、考えてしまうことがあるのですが、それはそれでまた別の困難があったはずです。私が私の形で生まれたことはひとつの奇跡で、私は私の身体を一種のメリットと捉えます。

纏めると、いま私は、女性として生きる男性です。
性に関して皆がもっともっと自由に、フレキシブルになればいいと思います。
男性の身体で化粧をしたり、スカートを履いたり、女性の身体で「僕」が一人称だったり、なんだかんだと、していていいと思います。最終的には何もかもが、「どちらかの性別のもの」で無くなればいいと思います。性についての社会活動をしたい人は、すればいいと思います。その結果や恩恵は私たちには間に合わないかもしれませんが、未来の世代の助けになります。社会活動に関して私は試したことだけありますが、肌に少し合わなかったので、進んで参加はしません。自分の周りの、狭い世界でだけ自由が許されるのなら、私はそれで満足です。それはそれでいいかと思います。

長くなりましたが、自分の整理のために書きました。
記しておきたかったことは以上です。

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