デッサンから学ぶ

学生時代、私は普通科の県立高校に通学していたのだが、課程に「選択芸術」という科目で、音楽・書道・美術の三つの中から一つを希望で選択し、クラス毎に分かれて受ける授業があった。

幼少期にピアノ、小学生で書道の習い事と、学校のクラブでマーチングバンドに参加していた私であったが、敢えて選択した科目は唯一全く経験のない美術だった。

選択した理由ははっきりとは覚えていないのだが、書道はそもそも好きで習っていたわけではないのでここに来て再度取り組むつもりはない、音楽はクラス内カースト上位の生徒の集まりになりそうなので日陰者の身としてその場に単身飛び込みたくはないだとかいうしょうもない動機が半分と、単純に美術というものを知りたい、やってみたいという純粋な興味を胸に抱いていたのが半分であっただろう。

美術を担当していた教師は非常勤講師で、市内の高校を幾つか掛け持ちしながら曜日によって行き来している女性の方だった。芸術というものに従事する人間に対しては大概と言ってもいいのかもしれないが、これがまたなかなかにアクの強い方で、初回の授業の時点で大半の生徒からの反感を買い、授業に参加するということに対する全体の意欲が実に著しく低下した感覚は言わずとも肌で感じるほどだった。

その教師の何が生徒をそうさせたのか、事細かに説明できれば面白いのであろうが、実のところはっきりと覚えていない。ただ我が強く、語調も強く、私のやり方・美学に従いなさい。着いて来れないのなら帰りなさい。私にはプライドと実力を伴う自信がある。言われたことを守れないのならあなた達に授業を受ける資格はないと、そのようなことを初回で、口を開くやいなや言い放ったようなぼんやりとした記憶がある。そして実際に一個人として見せ物かのように叱責を受け、授業を放棄して帰った生徒すらいたような気までする。初回で。授業開始数十分そこらで。

美術科目選択者はハズレを引いた。そのような認識はすぐに他科目の選択者にまで行き渡った。お昼休みは「美術の先生のヤバさ」の話題で持ちきり(とまでは行かないかもしれないがそれなりの盛り上がり)であった。一日で完全に腫れ物と化した美術教師であったが、実のところ私はその教師のことが好ましかった。単純に面白かったからだ。その頑固一徹さに尊敬の念すら抱いた。次は何が起こるんだろう。どんな自論を振り翳して来るのだろう。その美学に基づいたどんな学びを私たち生徒に与えてくれるのだろう。本格的に美術の授業を受けられる次回の授業を、おそらく私ひとりだけが心待ちにしていた。

来たる第二回目の授業。取り組む課題は、「デッサン」。

「デッサン」と聞くと、こう、イーゼルにキャンパスを広げて、股を広げてその前の椅子に座り、少し遠くに置かれたリンゴやら何やらの対象物を、鉛筆を使ってサカサカ写生する……そんな想像ができた。であるのだが、まず、「デッサン」は写生ではない、らしい。

テーブルには白い円柱がひとつ置かれ、窓から差し込む日光がその影を斜めに落とした。そして教師はこう言った。「対象物を見てください。」

じっと見てください。観察してください。理解してください。光の向きを、角度を、それらが作り出す陰影を、少しずつ浮き出て来る対象物の輪郭を、質感を、重さを。理解できるまで見てください。「わかる」時が来ます。「わかる」までは描いてはいけません。わかった時に、わかったことだけ描いてください。正しい線だけ、乗せることが許されます。さあ、見てください。始めてください。

美術室はそれきり静寂に包まれた。観察の時間を与えられたはずの私たち生徒であったが、ぼんやりとテーブルの上の白い円柱を眺めながら、誰かひとりが手に持った鉛筆を動かすのを、皆で待っているようだった。

ビビっていたのである。15,16の歳の私たちには、少し高等だったのかもしれない。だが私は信じた。「見るぞ」と意気込んだ。見た。見つめ続けた。円柱が置いてある。円柱である。ただひたすらに、白い無機質な円柱なのである。どこにある。答えはどこにある…何分経過したかわからない。その時、何かが脳を貫いた。「見えた!」と思った。

「わかった」とついに思い、気持ちが高揚するより先に、勝手に鉛筆が動いていた。何かを確実に捉えた感覚があった。そういうことだったのか。そしてまた観察に戻る。正しいことが見えてくる。そして描く。その繰り返しである。ループに突入することができた。私はこの上なく集中していた、いや、夢中になっていた。

「人間の脳はとても良くできています」

教師が口を開いた。

皆さんには記憶があります。記憶は新しい情報を補完します。「思い込み」ということです。こんな感じ。こうだった気がする。それは許されません。見えたものだけを描きなさい。脳は補完しようとします。それに負けない。いちいち見てください。何度でも何分でも観察してください。正しいものが見えるまでずっと。……………

正直なところ、この「デッサン」の授業以外、1年を通して他にどんな課題をこなしていったのか私はほとんど覚えていない。それだけこの「デッサン」の授業の経験が鮮烈だったのかもしれない。今でも覚えている、光と円柱がぶつかり造り出した、鋭い輪郭線……私が見て、描いたものだ。

私はそれ以来、美術に触れる機会に出会ってはいない。自ら出会おうともしてないからかもしれないが。ただ私の本場である、「文章を書く」という営みにおいて、「デッサン」から学んだ技法は、確実に今も生きているのである。

「書く」時、私は私の心を「見る」。

「わかる」時が来るまでずっと。言葉が散乱して、絡み合って、網目のように心と頭を暗くしているのを、じっと見つめる。そして心に正しいことだけを、書く。私が書いたものを読んだ他の誰かに意味が伝わるか、文章としてひとつの形を成しているか、そんなことは一切考えはしない。考えるのは、ただ正しいかどうかということだけだ。

心を言葉で表現するのではない。心が言葉によってできているのだ。その実態を観察する。正しい言葉を見つけていく。脳の惰性に抗う。何分でも、何時間でも、ずっと…。それが私の中での、言葉と真剣に向き合う時の方法になっている。

放課後に…部活を休んで、美術の授業の補習を受けたことがあった。本来の授業時間中に筆が進み切らず、作品を完成させることができなかったからであったか。いつもの美術室で、教師と二人きりになり、旗を掲げる天使の絵画を模写していた。私たちはそこで何かぽつぽつと会話をしていた。

「あなたみたいな学生に会ったのは久しぶり」
そう言われたことだけをはっきりと記憶している。私は最初から最後まで、その教師のことを悪く思ったことはなかった。「デッサン」の方法を与えてくれた、私の恩師の内の一人である。

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