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二階堂奥歯『八本脚の蝶』を読んだ


何度か目にしたことがあって、気になっていたけど今ではないかと後回しにしていた本。先日読んだ、山尾悠子の『迷宮遊覧飛行』に奥歯さんがちらりと出てきて、今だという感じがしたので購入した。

読む前に見た表紙は、漠然と青い蝶にしか見えなかったのに、読み終わってみると、文字の書かれた紙片の蝶に本棚、幻想文学、球体関節人形にぬいぐるみ、形見箱で構成されていてすごい。奥歯さんだ。『八本脚の蝶』という題は「東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶」に由来しているとのことなので、表紙の青は青銅の青かもしれない。

彼女が若くして自らこの世を去ったことは知っていたので、結末を知ったうえで読む本だった。でも、前半はそれを忘れるくらいきらきら楽しかった。大好きなファッションやコスメ、香水にまつわる乙女のこだわり、ぬいぐるみと人形、読書と思索。素敵なものを求めて目まぐるしく歩き回り読んで回る彼女があまりに魅力的だった。

後半は、彼女がもうじきこの世を去ることを意識せざるを得なかった。明らかに引用が増えて、彼女の言葉はあまり語られない。珍しく語られたと思うと自殺に係るあれこれ。

家族や恋人に語り合える友人を持ち、容姿端麗(みなさんがそう仰るので)で明晰な頭脳も持っている。傍から見れば何不自由なく恵まれていて、自殺と結びつかないかもしれない。でも、どれだけ恵まれた環境に見えても、考えれば考えるほど自分の在り方に疑問を感じたり、繊細で弱くて脆い感性は、なんてことない周囲の言葉でずたずたに引き裂かれたりする。他人にあれこれ言えることではないのは承知している。ただ、感覚的に分かるなぁと思う部分が多々ある。

「私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支えあいの中で生きています。生きていたらやりたいことはたくさんあります。でも生自体を支える根拠はありません。私は自分の髪を自分で掴んで虚空の中に落ちていかないように支えているような気がします。小さな信仰だけがそれを可能にしているのです。」

「大学を出たら普通は働いて生計を立て、自活する。あたりまえのことだ。生きるのは、明日を迎えるのは、あたりまえのことだ。そんなあたりまえのことが、私には、ものすごくがんばらないとできないのだ。」

「ただ、私にとって、私の存在価値はゼロなのです。誰かに認めてもらって、はじめてプラス。貶されれば、マイナス。ゼロからはじまって、完璧にすればゼロをキープできる。失敗すれば、マイナス。にこにこと綱渡りする。見て、こんなに高く私飛べるよ。一生懸命頑張ります。どうか、私を放してください。私の存在を赦してください。」

自分が存在し続けることに、結婚して子供を産み育てる将来を見据えることに、疑問を抱かないマジョリティに対する不思議。
多分、社会の内側で生きていくのにわりと致命的ななんらかの欠損があって、(私の場合はそれが社交性の欠落、内向型なだけだけど)取り繕ったり、周囲の顔色を伺って擬態して生きているうちに、人間からずれていって、あたりまえとされるものが別にあたりまえじゃないと気付いてしまうからこうなったのかもしれない。

マゾヒズムや主従関係に惹かれるのも分かる。自分の存在に疑問を持たず、私にとって圧倒的に正しい存在に付き従って言われるがままされるがままに生きれたらどれだけいいだろう。そんな存在現れるはずがないけど。

素敵な存在を探して探して、日々やっと生きている。私も。共鳴する人としない人がきっぱり分かれる本だと思う。


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