見出し画像

SEKAI NO OWARIの『Missing』について-音と愛で世界を巡る

こんばんは🌱
今回はSEKAI NO OWARIのMissingという曲を考察していきます。この曲は2019年にリリースされたLIPというアルバムに収録されています。セカオワの曲には1冊の絵本を読んだような気持ちになる、ストーリー性のある曲が多いのですが、このMissingもその1つです。この曲を自分なりに解釈したとき、哀しくて温かい気持ちになりました。では歌詞を読んでいきましょう。



1番A~Bメロ

カラダが残っているのに、「僕」の前から「君」がいなくなったというのは不思議ですね。「体」ではなく「カラダ」と表記されているのはなぜでしょうか。カラダはあるのに、僕は部屋の中で君を探しています。もしかして空っぽの(魂が宿っていない)体ということでしょうか。
では君が亡くなったと仮定して話を進めます。なぜ君はあの世へ行かなければならなかったのか、僕は見当もつきません。実は君の体を蝕む病気があったのか、逝ってしまいたいと思う出来事があったのか。
そして、セカオワらしさを感じられるファンタジックな表現が出てきました。トビウオは春先から夏にかけて日本の近海に来るそうなので、この時期は春〜夏だと推測できます。喋る木とは、、何でしょう?分かる方いらっしゃいますか?リアルとアンリアルの国境を渡っているのは、夢と現実の間にいるということでしょうか。寝ている時に夢を見ながら「あー、わたし今夢見てるな」と自覚している時の、ふわふわした感覚をイメージしました。

1番サビ

幾千の夜を越えたということは、短くても6年は経っています。君の存在を思い出しながら長い年月をかけて君を探しています。君の好きだった場所を必死に思い出して、順に巡っているのでしょうか。
日を重ね、君の言葉を思い出し、また1日が経って、表情を思い浮かべる。その繰り返しが延々と続いているようです。

2番A~Bメロ

時間が経ち、君にまつわる記憶はだんだんと薄れていきます。僕は自分のことばかり考えていて、君の声をきちんと聞いていなかったことを後悔しているようです。緑の猿はサバンナモンキーだと考えられます。毛の色が灰緑っぽいことから緑猿と呼ばれているそうです。サバンナに生息しているということは、僕はいつの間にか国境を越えてますね。泣くロボットは感情が宿ったAIのようなものでしょうか。最後は日本を皮肉ってますね。

2番サビ

君を探す旅はなかなか終わりません。君に会えたら伝えたいことがどんどん増えていきます。僕と君が写った写真を見返して、ふと僕は何かに気付きました。どうして僕は笑っていなかったのでしょう。
「これってもしかして」のFukaseさんの呟き方が不安げで、聴いている方も不穏な鳥肌が立ちます。

Cメロ

ん?僕が先にいなくなっていた?
そうです。僕がカラダを残して君の元を去っていたのです。亡くなった僕を探して君は僕の好きな場所へと向かい、後を追ったのでした。すれ違ってしまい、長い間会えなかったのです。1番で出てきたリアルとアンリアルがこの世とあの世だとすると、既に亡くなっていたからその国境を渡ることができたと考えると辻褄が合います。写真に写っていた僕が笑っていなかったのは、死への恐怖からでしょうか。

ラストサビ

僕を探してくれていたんだね。君の元からいなくなってごめんね。僕の君に対する愛おしさや会えた喜びがじわじわと伝わってきます。

まとめ

Missingは僕が君を探して世界中を旅していましたが、聴く人を世界中に誘う要因として、使われた楽器の豊富さが挙げられます。マンドリン、カリンバ、マリンバ、三味線、尺八、和太鼓、ティンホイッスル等が使われていて、それらの音色によって国境を越える感覚を味わうことができるのです。君を探す僕の焦燥が伝わるメロディー、君を想って溢れた言葉が、聴く人を切ない世界旅行に連れて行くような、壮大な曲だと感じました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。明日もいい日になりますように🌛