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SEKAI NO OWARIの『深海魚』について-変わらないために変わり続ける(パート2)

こんばんは🌱
セカオワの深海魚を考察するパート2です。半分は過ぎてるのですが長くなりそうですねえ。早速書いていきます。


Cメロ

この部分、暗闇に1人でぽつんと佇んでいるようにFukaseさんが歌ってるんです。浅い海辺で苦しい思いをしながら無理して生きていたあの頃を思い出しているようでグッとくるものがあります。深海より、周りの生物が生きやすそうにしている浅い海域のほうが明るさとしては明るいけど、自分の心は明るくいられない場所だったということですね。自分の居場所はきっとここじゃない。今いる場所より暗い場所に行くのはきっと怖いですよね。行った先に何があるのか、どんな音がしてどんな匂いがするのか、そこに行って自分は幸せになれるのか。でも行動しないで今のまま生きていくのはもっと怖かったのでしょう。

ラストサビ

1番のサビと大きく変わった点、まずは「深淵を覗いてみろよ」です。浅い海辺にいたことで環境の変化に適応できなかった者達に対して、こっち見てみろよっていう感じでしょうか。「生き延びてきたんだ アイツらより長く」からは、逃げる俺達を嘲笑ってたかもしれないけど、君たちは絶滅するんだねどんまい。という感じがしますね。それまでは弱くて逃げるしかなかったオウムガイが、生き延びられたことで堂々としているような印象を受けます。化けましたね。
自分の能力を発揮できる場所とか、自然体でいられる場所ってすごく大事ですけど見つけるのが難しいんですよね。自分に合わない環境にいるとどうしても「周りの人は簡単にやってのけるのに自分は全然できない。こんなこともできないなんて、だめな人間だな、、」と思ってしまいます。その場所から一歩離れてみたり、時間が経過すると「あの環境自体に問題があった」とか「自分の得意なことが生かせる場所ではなかった」と気付けるのですが、ついネガティブになると客観的な視点を忘れてしまいがちですよね。もちろん何も努力せずに周囲のせいにするのは違うと思うのですが、その線引きが難しいなあと思います。ただ大事なことは、周りの目を気にしないことなのかなと。アンモナイトに後ろ指を指されることを気にして行動を起こさなかったら、きっとオウムガイも一緒に絶滅していたのでしょうし。まだ始めたばかりだからとか、時間が経てば慣れるかもとか、今辞めたら周りの人から何て言われるかなとかじゃなくて、自分が、どうしたいのかに焦点を当てることは忘れたくないですね。自分の人生の責任を取れるのは自分しかいないんですから。と言いつつ、やっぱり環境を変えるのはこわいもんです。わたしもオウムガイのように、柔軟に適応できる人間になりたい。

まとめ

この曲の深海にいるようなメロディーも大好きです。海底で生物が蠢いている様子が伝わってくるんですよね。静かな海中とか、荒れた波が想像できるのです。Fukaseさんが水の泡のようにやわらかくまるい声で歌っているのもいいんですよ。あと、各サビの「暗闇でよく映える」「静かに迎える者」のところで海中に差し込む光のようなピアノの音色が流れるのも素敵です。やっぱり映画観たかったなあ。でもこわいなあ。亀梨さん繋がりだと今、大奥にどハマリしてます。定信!あんた何してんのよ!!ってね(そっちかい)。

最後まで読んでくださってありがとうございました。明日もいい日になりますように🌛